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2008.05.02 Friday

呪縛(003)

貴方は私を見ていない
 情報システム部には二十数名のスタッフがいる。
 その中で日勤と夜勤とを振り分けて二十四時間対応が可能な体制を整えている。女性社員は夜勤を拒否しても査定になどは響かないが、私は率先して夜勤を希望している。現在は一週間ごとに夜勤と日勤を交互に繰り返しているような状態だ。出来ることなら全部夜勤でも構わないのだが、さすがにそれは部長に渋られてしまった。
 夜の十一時。夜勤はまだ始まったばかり。
 あれから、なぜか社長室の担当は水木から私になっていた。元々、水木でなければならないわけではなかったが、暗黙の了解のように秘書室から電話が入ると水木が呼ばれていた。誰も、水木本人でさえも異議を唱えなかったのに。
 それなのに。翌日、私の電話宛にあの専務から直接電話が入ってきた。
 社員の携帯電話は会社からの貸与になっている。社員間の通話が無料になるという携帯電話会社のサービスを利用していて、私用利用した分はその通話料が給与から天引きされる。
 私用の通話記録が会社に知れるため、会社貸与の携帯と私用の携帯をわけて使っている人も多いが、私は気にするほど携帯電話を利用しているわけではないから、この一台しか持っていない。
 いつもの十一階の休憩室にいると、携帯電話が振るえた。
 また専務かと思ってげっそりとしながら携帯電話を取り出した。
 だが思いとは反して、住所録には登録していない番号らしくディスプレイには十一桁の番号がそのまま表示されている。誰だろう。
 仕事関係であれば電話を掛け合うような相手は登録してあるし、それ以外となるとあまり交友関係は広いほうではない。無闇に携帯番号を教えたりもしていない。そもそもコンパなどの場にはほとんど参加していないのだ。
 不審に思いつつも通話ボタンを押した。
「・・・はい」
 相手がわからないので名乗らずに電話に出た。
『遥?』
 違わずに名前を呼ばれてドキリとする。私を知っている人か。
『あ、すみません。星野遥さんの携帯ですよね?』
 いつまでも返事をしなかったせいで間違えたかと思ったらしく、電話の相手はそう問いかけてきた。
 この声。聞き覚えがある。確か・・・。
『由衣です。松岡由衣』
「・・・由衣?」
『そう。遥だよね?』
「うん」
『突然、ごめんね。皐月さんから番号聞いたの』
「ああ、うん」
 由衣。そうか、由衣ね。何年ぶりだろう。すでに音信不通状態だったのに。今更、何だというのだろう。
『・・・あのね』
 誰かが結婚か、逆に不幸か。突然電話をかけてきた理由は、そんなところか。それ以外に、わざわざ私になど連絡をとる必要性はないはずだ。
『同級会をやることになったの』
「同級会?」
『そう』
 それこそ、何でまた今頃だ。二十歳だとか三十歳だとか。そういう節目の年というならまだわからないでもないが、二十四歳などという中途半端な年に。
『実は、小学校が取り壊されることになったんだ』
 小学校・・・。
 ああ、それでか。
 私が卒業した山間の小さな小学校は、木造建築でかなり老朽化していた。私達が卒業した時点で既にそうだったのだから、あれから十数年を経過した今はさぞかし古びただろう。
 そして、その小学校の歴史上、私たちは最後の卒業生なのだ。
「・・・私、帰るつもりないから」
『でも・・・』
「理由は言わなくてもわかってると思うけど」
『だって、もう昔の話じゃない』
「そういう話なら、ごめん。今、夜勤の仕事中なんだ」
『あ、ごめんね。一応、メール送っておくから。気が向いたら、来て』
「・・・約束はできない」
『それでもいいから。とにかく、送っておく』
「・・・好きにして」
『好きにするよ。じゃ、仕事中にごめんね』
 かかってきたときと同じく、プツッと通話が切れた。辺りが一瞬で静寂に包まれる。
 もう忘れたつもりだったのに。
 覆いかぶさってくる闇が私を捕らえて離さない。
 時々、この感覚に襲われる。
 子供の頃からすぐ隣にあった暗闇は恐怖の対象ではなかったはずなのに、光も音も消えた世界にいると、まるでこの宇宙に存在するのが自分一人だけなのかもしれないという気がしてしまう。
 私が恐れているのは、闇ではなく、多分、孤独だ。
 迫りくる闇に押し潰されるように体を小さく丸める。そうやって闇をやり過ごす。声もあげず、身動きもせず、意思を持った闇に自分の存在を気づかれないように―――。

「電話が繋がらないと思ったら、こんなところでサボってたのか」
 闇の中から降ってきた声にビクリと体が竦んだ。
 振り向くと、そこにはもう馴染みになった専務が立っていた。
 いつからいたのだろう。電話を聞かれただろうか。
「何か、トラブルですか?」
 平静を装い問いかけたが、自分でも声が微かに震えているのがわかる。この人には弱味を見せたくない。精々虚勢を張るように、座っていた椅子からも立ち上がる。
「トラブルではないが、頼みたいことがあって探してた」
「すみません。すぐにそちらに」
 休憩室の出入口を塞ぐように立っている専務の下へと歩み寄る。だが、専務はじっとこちらを見下ろしたまま動こうとしない。遠くにある非常灯の明かりが、申し訳程度に顔の輪郭を浮かび上がらせている。見上げた顔は無表情で何の感情も読み取れない。桧村と話しているときのおどけた様子も、仕事に集中しているときの真剣な様子も、どちらもない。
「あ、あの?」
 これがこの人の本当の姿なのだろうか。
 窓の外の夜景を反射させて、瞳がきらりと光ったように見えた。
 冷たい、瞳。
 背筋がゾクリとする。気がついたら、数歩後ろへさがっていた。
 先程まで、私を取り囲んでいた暗闇と同じ感覚だ。
 すうっと腕が伸びてきたけれど、もう動くことも叶わない。
 囚われる。
 鎖に縛られたかのように、微動だにできない。
 ひんやりとした指が顔のラインをなぞっていく。来ないで。近寄らないで。声にならない願いが喉元にひっかかる。苦しくて、息ができない。
 それでも息を吸おうともがくと、上体が仰け反ってバランスを崩してしまった。もつれた足が椅子にぶつかる。あっと手をつこうとしたけれど、その手は強引に引っ張られた。
 倒れる―――。
 衝撃を予想して目を閉じたが、それはいつまで経ってもやってこなかった。
 倒れて、ない?
 そうっと瞳を開けても何も見えない。いくら暗がりとはいっても、窓の外からの明かりもあるし、本当の真っ暗闇というわけではないなずなのに。
「・・・あっぶねぇ・・・」
 小さな呟きが聞こえ、ようやく思考回路が正常に動き出した。
 五感全部が活動を開始したようで、視覚よりも頬に触れるスーツの肌触りで、抱き締められていることがわかった。目算でも百八十近い長身だ。女性の中では小柄な方に分類されてしまう自分では、専務の肩にも届かない。
「すみません。もう、立てますから」
 足場を確保してそう言ったけれど、一向に手を離してくれる様子はない。
 ちょっと待って。いくらなんでも、この体勢はマズイでしょう。
 先程の飲み込まれそうな威圧感は消えていたけれど、違う意味で恐怖を感じる。
 この人は、男なんだと。
 情報システム部はほとんどが男性であるから、普段から男とか女とか性別を意識しないようにしてきた。そうでなければ、この職場ではやっていけない。大学で工学部を選んだときからそうやって身につけてきた一種の防衛本能だ。仕事に不便ということもあってパンツスーツに身を包み、伸ばした髪は束ねている。女らしくないとか言われたりもしたけれど、別に男に見られたって構いはしない。
 それなのに。
 今、こうやって自分が女で、この人が男なんだと思い知った。
 自分はどんなに足掻いたって、男にはなれないんだと。
「せ、専務・・・。お願いです、離してください・・・」
 卑怯すぎる。
 何も言わず、ただ抱き締めるだけで。それだけで、こんなに自分を強烈に印象付けるなんて。

 次期社長という看板に、女子社員が色めき立っているのを見てきた。
 社内だけじゃなく、姻戚を結ぼうと画策している企業や資産家がいることも知っている。
 そして、専務本人がそうやって寄ってくる女性を日替わりで弄んでいるという噂も聞いている。
 それなのに。こんな男と、思いながらも目が離せない自分がいる。

 悔しくて。情けなくて。
 溢れた涙が彼のシャツを濡らす。涙だけではなくて化粧も落ちてシャツを汚しているだろう。
 きっと高価な品なんだろうけれど、構うものか。一枚くらいダメになったところで、この人にとっては痛くも痒くもないはずだ。
「・・・星野?」
 名前を呼ばれた瞬間に箍が外れた。ドンッと思いっきり専務の胸を押しのけて、廊下に走り出した。
 恋愛なんてばかばかしいと思っていた。
 誰かに恋心なんで抱くなんて思ってもみなかった。
 誰にも頼らず、一人で生きていく。それが私の人生だと思っていた。
 それなのに―――。
 エレベーターの到着なんか待っていられない。そのままいつものように非常階段のドアを開ける。
 だが、そのドアは後ろから追いかけてきた専務の手によって大きな音と共に閉められてしまった。
「・・・なんで、逃げる?」
 ドアと向き合って立ち尽くす私の両側に手を突いて、身を屈めて耳元でささやかれた。
 声に怒気が含まれている。それがびしびしと全身に伝わってきて、それだけで体が竦む。

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