■ ■ ■ 傷だらけの僕ら 本編05
夕飯は十八時から二十時の間に食堂に行けばいいと入寮案内に書かれていた。
秋葉の視線から逃げるように、部屋を出た。
記憶してきた寮内の見取り図を思い出しながら、廊下を進む。最初の十字路を右に曲がろうとすると、後ろから「逆だ」と声が聞こえた。
振り向くと秋葉がいる。立ち止まった翔を追い抜くと、左へ曲がって進んでいく。
行き先が食堂だとわかっているのか?
この時間、しかも手ぶらで他のところへ行くはずもないか。
腹立たしく思いながらも、秋葉の後を追う格好になった。
食堂は一度に百人以上が座れそうな巨大なホールになっていた。入口右手にセルフサービスになっているカウンターがある。秋葉はトレイを手に取ると、ご飯やおかずを順に乗せていった。
その様子を眺めてから、同じようにトレイを取る。
「おや? 見ない子だね」
カウンターの向こうの調理場から声がかかる。おばちゃん独特の馴れ馴れしさ。近所の噂好きのおばちゃんたちとそっくりだ。どこへ行ってもおばちゃんパワーは凄い。
「今日からお世話になります、桐生です」
「まー、カワイイ子ねー!」
「ホント、ホント。うちの子なんかと大違い!」
「礼儀正しいし、いい子ね」
これ、おまけね!と、次々に惣菜が乗せられて、翔の皿は山盛りになった。
こんなに食えるか・・・と思いつつも、毎日世話になる人たちだし、無下にはできない。
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げたところに、後ろから首に何かが巻きついた。
「長瀬さん、コイツにだけ、ずるーい!」
「秋葉君、欲張りなんだから」
巻きついてきたのは秋葉の右腕だった。「いただきー」と、左手が伸びて翔の皿からから揚げを一個頬張る。
「こら! 行儀悪い!」
「はいはーい。すいませーん」
さして悪いとも思っていない口ぶり。翔に巻きつけた腕はそのままで、ぐいぐいと引っ張られた。
すぐ近くにある顔が、わずかに高い。こいつ、結構、身長があるんだな。
引かれるままにしていると、四人が座っているテーブルに連れて行かれた。
「ルームメイトの桐生君でーす」
ようやく腕が解かれる。軽口で紹介すると、座っていた面々が動きを止めた。
「え・・・。あの、桐生?」
「うわっ・・・。本物・・・!」
口々に驚きの言葉と表情に変わる。
翔のことを知っているということは、ここにいるのはサッカー部員か。
「暁星高校サッカー部の次期一年生だ。今、寮に残ってるのは俺を入れて、この四人」
秋葉の口調が変わる。おちゃらけた様子はなくなって、先に座ると睨むように視線を投げてきた。
「ま、これから、お手柔らかに頼むぜ?」
「秋葉っ! 最初っから喧嘩売ってどうすんだよ! あ、ほら。桐生も座って!」
にこにこと人が良さそうな笑顔の少年が空いている隣の椅子を引いてくれた。
「あ、はい。失礼します」
「気取ってんじゃねーよ」
「秋葉!」
怒鳴られてもしれっとした顔で、もう夕食を食べ始めている。
他の面々も、止まっていた箸が動く。翔も両手を合わせて、小さく「いただきます」と呟いて、しばらくは食事に専念した。
「あ、簡単に自己紹介しようか」
さっきの少年が仕切る形で、一人ずつ名前が告げられた。彼は藤枝雄介、MF。中等部三年の時はキャプテンだったという話だ。だからこうやって仕切っているらしい。坊主頭でガタイがいいのが、梶直哉。見るからにDFだ。もう一人はサッカー部と言われなければ絶対に運動部じゃないだろうと思えるような神前秀一。GKだというから驚いた。
そして、秋葉伸和、FW。鋭い眼差しがゴールを狙うハンターのようだ。
昨年までは敵同士だったが、何度か試合をしたことがあるはずだ。翔は人の顔や名前を覚えるのが苦手で、最大のライバルである暁星学院のメンバーでさえ覚えていなかった。いつも、顔や背番号でなく、ピッチでの動きを見てしまう癖がある。練習になれば、思い出すかもしれない。
「桐生翔です」
「この県でサッカーやってるなら、桐生の名前をしらないヤツ、いないよ」
「なんたって、U−15の司令塔だもんなー」
「一緒にプレイできるのが、楽しみだよ」
わくわくとしている藤枝と梶をよそに、神前は悠然としたままで。秋葉は憮然としたままだった。
「春休みも、練習は毎日?」
「強制参加じゃないんだ。一応、毎日午前中に練習やってるけど、帰省してる部員もいるし、自由参加だよ」
「練習に参加したいから、早くに入寮したんだろう?」
初めて神前が声を出した。涼やかな声というか。冷たい声というか。感情が篭もっていない。事実を淡々と述べただけのようで、なぜか、突き放されたような気がした。
「・・・少しでも早く、チームに馴染みたいって思って」
理由はそれだけではないのだが。そう思ったのも事実だ。
中高一貫教育の学校だ。中等部から高等部になり、サッカー部も別のチームにはなる。だが、中等部時代に共に戦ったチームメイトがほとんどのはずだ。部外者の自分は、一日でも早くチームに入るほうがいい。
「ほんと、優等生だよなぁ」
神前とは逆に、敵意丸出しなのが秋葉だ。さっきのことを根にもたれただろうか。
「サッカーは、チーム競技だろ?」
そう言いながら、和を乱すように秋葉を睨んだ。今更かもしれないが、弱味を見せたくないと思った。
秋葉も睨み返してきて、しばらく互いに視線を絡ませた。
秋葉はFWだというから、我が強いだろう。そうでなくては務まらない。逆にMFの翔は、我の強さと周囲のチームメイトの連携とをバランスよく融合させなければならない。これで、秋葉のほうが折れるようなら、FWとしては物足りない。
一分もそうして睨みあっていただろうか。折れる様子のない秋葉から、翔はふいっと視線を外して他の三人を見回した。
動じていない神前と、はらはらしている藤枝と、始まったなーという顔で楽しんでいる梶と。三者三様だ。
ばらばらな面子だな、とキャプテンをしてきたという藤枝に感心する。一見、纏まりのない四人なのに、こうしてテーブルを囲んでいる。春休み中で食堂はがらんとしているが、本当に勝手なヤツらなら、そんな中でも一緒に食事を取ろうとしないだろう。
頼りなさそうに見えるけれど、信頼されてんだな。
「明日から、よろしく」
そう言葉を残して、翔は前に席を立った。
「何だ、アイツ。すっげー、嫌味なヤツだな」
翔の姿が見えなくなってすぐ、秋葉がドンッとテーブルを叩いた。
「むかつくー」
さっきまでの高圧的な態度ではなく、子供が不貞腐れている様子だ。藤枝はいつもの秋葉に戻ったなと、密かに笑みを漏らした。ルームメイトが翔に決まってからの秋葉は、落ち着きがなくなっていた。同じ年ながら、世界を相手に戦っている選手だ。緊張もあっただろうし、憧れの選手が突然身近にくるという不安もあったのだろう。
元々、勝気な性格で喧嘩っ早いところはあるけど、初対面の相手にあんなに挑戦的にならなくてもいいだろう。
「でも、さすがというか。落ち着いてたね」
「編入試験の成績も優秀だったと聞いてるよ」
他人にはあまり興味を示さない神前だが、やはり翔のことは気になっているらしい。
「高等部の編入試験って、超難しいって聞いたぜ? 頭もいいのかー」
「梶はもうちょっと勉強もしないと。高等部は留年もあるんだからね」
「わ、わかってるって!」
頬杖をついたまま、むっと頬を膨らませたままの秋葉が気になった。
基本的に人見知りもしないし、誰にでも気軽に声をかける。そのはずなのに―――。
「秋葉、桐生と何かあった?」
午前中の練習を終えて、昼食を採った後、それぞれの部屋に戻った。翔が来たのはその後だろう。
食堂には二人揃ってやってきたから、友好関係が築かれたのかと思ったけれど。様子がおかしい。
「・・・もしかしたら、俺、アイツの逆鱗に触れたのかも」
「逆鱗?」
さっきまでの勢いは消えて項垂れる。ぷしゅーっと空気の抜ける音が聞こえたような気がした。
「あいつのプレイを見てて、ずっと疑問に思ってたことがあってさ。いつか聞きたいって思ってたから。挨拶もそこそこに聞いちゃったんだよなー。そしたら、一気に不機嫌になって怒鳴られた」
感情に走りやすい秋葉らしいというか。思ったら即行動。つくづくFWらしいと可笑しくなる。
「・・・へぇ。桐生でも怒鳴るんだ」
神前が意外だという風に言う。
「そりゃ、誰だって怒鳴るだろ。お前だって試合中、俺のこと怒鳴ってばっかなんだから」
「梶がちんたらやってるからだ」
「わー! 秀ちゃん、絶対零度ー! 冷たすぎ!」
茶化して騒いでいる梶を尻目に、藤枝は「何を聞いたの?」と、秋葉に問いかけた。
秋葉は何か言おうと口を開いたが、そのままの状態で動きを止めた。
「・・・やめとく。広めたら、本当に口、聞いてもらえなくなりそうだ」
しばらく逡巡してからそう言って、はあっと項垂れた。わざとらしく、ごんっと音をたてて額をテーブルに撃ちつけた。試合で失敗をしたときと同じ落ち込み方だ。
秋葉が気付いて、自分が気付かなかった疑問とは何だろう?
気になったけど、これは本人同士の問題だろうし。秋葉も言っていいと思えば話すだろう。
藤枝は同じMFというポジションだったから、秋葉以上に翔のプレイを真剣に見ていたつもりだったのに。すごいプレイをするヤツだと、通り一遍の感想しか抱いていなかった。
だが、もしかしたら自分は、スーパースターという輝きに惑わされて、桐生翔という一人の人間の本質を見抜けずにいるのかもしれない。人好きの秋葉は、惑わされることなく一人の人間として見ているのだ。
明日の練習で。冷静になって見てみよう。
そうすれば、違う面が見えるかもしれない。
食堂を出ると各自の部屋に向かう。同じフロアだが四人とも部屋が違うから、廊下でそのまま解散となった。
「藤枝ー、あとでそっち行く」
「オッケー」
梶はそう言って自分の部屋に消えた。
神前は何も言わずに、自室に入っていく。
「じゃーな」
秋葉に声をかけてドアを開けると、後ろを歩いていた秋葉はするりと藤枝の部屋に滑り込んだ。
「・・・自分の部屋、行けよ」
「今は戻りたくない」
「あのなぁ・・・。初日からそんなんでどうすんだ? 一年間は部屋替えナシだぞ」
ぼすっと帰省中のルームメイトのベッドにダイブして、こっちが言ったことも無視している。
「ごめん、の一言で済むだろ?」
「・・・俺は悪くない」
「責めたんじゃないのか?」
うっと言葉に詰まっている。
秋葉に悪気はないのだろうが、言葉遣いが汚いからよく喧嘩ごしに取られることがある。それに切れ長の視線で見下ろされると、絶対的な威圧感を与えてしまう。誤解されやすいタイプだ。もう少し、言葉を選べばいいのだろうが、かーっと頭に血が上りやすく、そうなると周囲も本人も抑え切れない。
「・・・血の気多いんだよ、秋葉は」
「冷徹な秀一よりマシだと思うけど?」
「神前は冷徹なんじゃないよ。クールなの」
「同じじゃん」
「違うって。それに、時間をおくと余計に気まずくなるだろ? 今のうちに謝っとくほうがいいんじゃない?」
枕を抱えてベッドの上で胡坐座り。
有無を言わさずにその枕を奪い取り、空になった秋葉の手を引っ張る。
「わー! フジの横暴っ!」
「キャプテン命令だ。出てけ!」
「もうキャプテンじゃねーだろ!」
「うるさい。秋葉をのさばらせてたら、チームが回んない!」
力でなら、どちらも引けを取らない。それでもぐいぐいと引っ張ると簡単に秋葉の体は動いた。
それが秋葉の無意識な同意なのだろう。
「ちゃんと、明日までに桐生と仲直りしとけよ!」
「フジー!」
「でないと、お前にパス出してやんない」
「だから、横暴だって!」
「はいはーい。何とでも言って。じゃーねー!」
どんっと突き飛ばすように廊下へ押し出して、バタンッとわざと大きな音を立ててドアを閉めた。
荒治療かもしれないけど。秋葉にはこのほうがいい。
「キャプテンなんて、ただのフォロー係だよなぁ・・・」
はあっと溜息を零すと、藤枝は枕を定位置に戻して、ルームメイトのベッドを整えた。
逃げ込んだ藤枝の部屋からも追い出されてしまっては、もう自室に戻るしかない。
謝るなんて、そんなこっ恥ずかしいこと、できるかよ。
戻るに戻れなくて廊下をうろうろしていたら、「秋葉」と声をかけられた。
「あ、紺谷先輩!」
一年生のフロアに現われたのは、四月から三年生になる高等部のサッカー部キャプテン・紺谷真吾だった。ぴしっと背筋を伸ばして一礼する。
「どうしたんですか?」
「桐生が来たって聞いたんだ。で、ちょっと挨拶でもと思ってな。秋葉、部屋、知ってるか?」
キャプテン自らが挨拶とは。普通なら新入生がキャプテンに挨拶に行かなければいけないところだ。さすがスーパースターだなと、感心してもいられない。
「・・・俺と同室です」
「そうなのか。じゃあ、一緒に行くか」
やっぱり、そうくるよな。紺谷相手では、気まずいので部屋に戻りたくないなどとは言えない。
「はい・・・」
先導する形で歩き出す。強制的に戻らざるをえなくなったが、一人で戻るよりはマシか。
一応、ノックしてからドアを開ける。
「桐生・・・と。電話中か」
こちらを振り向いた翔の左手に携帯電話があった。とりあえず紺谷を中に入れて、ドアを閉める。紺谷をベッドに座らせ、秋葉は椅子に座った。
「うん、わかってるよ。じゃ、切るよ。・・・航によろしく」
秋葉たちが入ってきたから、無理に会話を終わらせたような気がしたけど。それはそれで、翔の勝手というものだ。
携帯電話を閉じたところで、声をかける。
「桐生」
向こうも気まずいのか秋葉を正視しようとしない。それでも、紺谷が一緒だからか、顔はこっちに向けてきた。
「俺はサッカー部のキャプテンをやらせてもらってる紺谷。君が来るって聞いて、楽しみにしてたんだ」
「・・・よろしくお願いします」
椅子に座っていたが、立ち上がってお辞儀をした。食堂のおばちゃんに対してもこうやって頭を下げていたっけ。育ちがいいというか、躾がいい。
「堅くならなくていいよ。うち、中高と一緒だし寮ってこともあって、他と違ってあんまり上下関係って煩くないんだ」
紺谷が「座って」と言って、ようやく翔は椅子に座った。
じーっと遠慮なく翔の上から下まで眺めている。
「思ったより小柄なんだな。身長は?」
「175です」
「ナベと同じか・・・。立ってもらっていいか?」
「はい」
素直すぎるところが、癪に障る。秋葉に対してはあんなに反抗的だったのに。
紺谷は満足したのか視線を秋葉に向けると、にっと笑った。
「頼もしいMFが来たな」
「逆にうちなんかのチームじゃ、桐生には物足りないんじゃないですかー」
「はははっ。それは、秋葉次第なんじゃないか?」
意味深な言葉で秋葉を挑発して、紺谷はすくっと立ち上がった。紺谷の身長は翔よりも僅かに高いくらいだが、身体の線が太い印象を受ける。肩幅もあり胸板も厚い。
「毎日、午前九時から十二時までグラウンドで練習をしてる。ま、今は春休みでメンバーが欠けてるから練習とは言っても、お遊びみたいなもんだけどな。明日から出れるか?」
「はい。お願いします」
「よし。じゃあ、明日。お手並み拝見させてもらうよ」
ぽんっと軽く肩を叩いて、秋葉にも軽く手を挙げて、紺谷は部屋から出ていった。
うわっ。気まずい。
突然、フレンドリーに話しかけるのも変だし。このまま無言で過ごすもの変だ。かといって、何を話していいのかわからない。中等部から一緒だった気心の知れたヤツらならともかく。今日、初対面の翔を相手に、どんな話題を振っていいか思いつかない。
「・・・今の人、ポジションってどこ?」
逆に翔から会話を振られて、どきりとする。ちらりと顔を見ると、視線は紺谷が出ていったドアを見つめたままだ。
「DFだよ。スイーパーのポジション」
「リベロ?」
「うーん。あんまり攻撃には参加しないかな? でも、キック力はあるよ。カットしたボールを一気に全線に送る」
「ああ、なるほどね」
興味をなくしたのか、ぷいっと視線を外して椅子に座って黙り込む。
今のタイミングで言わなかったら、もう言えないな。
「あー、っと、桐生」
意を決して声をかける。自分でも声が堅いのがわかった。翔は面倒臭そうな顔をしながらも、それでもこっちを見返してくる。俺だったら、ここで無視するなーと自己分析してしまうあたりが、痛い。
「・・・さっきは悪かったな」
「?」
きょとんとした顔で、何を言われているのかわからないといった風だ。何だよ、謝り損かよ。
でも、中途半端にしたままというのも歯切れが悪い。
「俺みたいなのがお前のプレイを批判できる立場じゃねーよな。勝手なこと言って悪かったな」
がなるように一気に言いたいことを言ってしまう。
「・・・何だ。そんなことか」
妙にすっきりした秋葉とは裏腹に、翔は顔を歪めた。やっぱり触れられたくないことだったのか。
「そんなことって・・・。お前は、嫌だったんだろ? だから、謝る」
「別に秋葉が謝る必要ないよ」
「え?」
「いいんだ。―――本当のことだから」
ふっと自嘲気味に小さく笑うと、翔は机に両肘をついて顔を埋めた。
秋葉の視線から逃げるように、部屋を出た。
記憶してきた寮内の見取り図を思い出しながら、廊下を進む。最初の十字路を右に曲がろうとすると、後ろから「逆だ」と声が聞こえた。
振り向くと秋葉がいる。立ち止まった翔を追い抜くと、左へ曲がって進んでいく。
行き先が食堂だとわかっているのか?
この時間、しかも手ぶらで他のところへ行くはずもないか。
腹立たしく思いながらも、秋葉の後を追う格好になった。
食堂は一度に百人以上が座れそうな巨大なホールになっていた。入口右手にセルフサービスになっているカウンターがある。秋葉はトレイを手に取ると、ご飯やおかずを順に乗せていった。
その様子を眺めてから、同じようにトレイを取る。
「おや? 見ない子だね」
カウンターの向こうの調理場から声がかかる。おばちゃん独特の馴れ馴れしさ。近所の噂好きのおばちゃんたちとそっくりだ。どこへ行ってもおばちゃんパワーは凄い。
「今日からお世話になります、桐生です」
「まー、カワイイ子ねー!」
「ホント、ホント。うちの子なんかと大違い!」
「礼儀正しいし、いい子ね」
これ、おまけね!と、次々に惣菜が乗せられて、翔の皿は山盛りになった。
こんなに食えるか・・・と思いつつも、毎日世話になる人たちだし、無下にはできない。
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げたところに、後ろから首に何かが巻きついた。
「長瀬さん、コイツにだけ、ずるーい!」
「秋葉君、欲張りなんだから」
巻きついてきたのは秋葉の右腕だった。「いただきー」と、左手が伸びて翔の皿からから揚げを一個頬張る。
「こら! 行儀悪い!」
「はいはーい。すいませーん」
さして悪いとも思っていない口ぶり。翔に巻きつけた腕はそのままで、ぐいぐいと引っ張られた。
すぐ近くにある顔が、わずかに高い。こいつ、結構、身長があるんだな。
引かれるままにしていると、四人が座っているテーブルに連れて行かれた。
「ルームメイトの桐生君でーす」
ようやく腕が解かれる。軽口で紹介すると、座っていた面々が動きを止めた。
「え・・・。あの、桐生?」
「うわっ・・・。本物・・・!」
口々に驚きの言葉と表情に変わる。
翔のことを知っているということは、ここにいるのはサッカー部員か。
「暁星高校サッカー部の次期一年生だ。今、寮に残ってるのは俺を入れて、この四人」
秋葉の口調が変わる。おちゃらけた様子はなくなって、先に座ると睨むように視線を投げてきた。
「ま、これから、お手柔らかに頼むぜ?」
「秋葉っ! 最初っから喧嘩売ってどうすんだよ! あ、ほら。桐生も座って!」
にこにこと人が良さそうな笑顔の少年が空いている隣の椅子を引いてくれた。
「あ、はい。失礼します」
「気取ってんじゃねーよ」
「秋葉!」
怒鳴られてもしれっとした顔で、もう夕食を食べ始めている。
他の面々も、止まっていた箸が動く。翔も両手を合わせて、小さく「いただきます」と呟いて、しばらくは食事に専念した。
「あ、簡単に自己紹介しようか」
さっきの少年が仕切る形で、一人ずつ名前が告げられた。彼は藤枝雄介、MF。中等部三年の時はキャプテンだったという話だ。だからこうやって仕切っているらしい。坊主頭でガタイがいいのが、梶直哉。見るからにDFだ。もう一人はサッカー部と言われなければ絶対に運動部じゃないだろうと思えるような神前秀一。GKだというから驚いた。
そして、秋葉伸和、FW。鋭い眼差しがゴールを狙うハンターのようだ。
昨年までは敵同士だったが、何度か試合をしたことがあるはずだ。翔は人の顔や名前を覚えるのが苦手で、最大のライバルである暁星学院のメンバーでさえ覚えていなかった。いつも、顔や背番号でなく、ピッチでの動きを見てしまう癖がある。練習になれば、思い出すかもしれない。
「桐生翔です」
「この県でサッカーやってるなら、桐生の名前をしらないヤツ、いないよ」
「なんたって、U−15の司令塔だもんなー」
「一緒にプレイできるのが、楽しみだよ」
わくわくとしている藤枝と梶をよそに、神前は悠然としたままで。秋葉は憮然としたままだった。
「春休みも、練習は毎日?」
「強制参加じゃないんだ。一応、毎日午前中に練習やってるけど、帰省してる部員もいるし、自由参加だよ」
「練習に参加したいから、早くに入寮したんだろう?」
初めて神前が声を出した。涼やかな声というか。冷たい声というか。感情が篭もっていない。事実を淡々と述べただけのようで、なぜか、突き放されたような気がした。
「・・・少しでも早く、チームに馴染みたいって思って」
理由はそれだけではないのだが。そう思ったのも事実だ。
中高一貫教育の学校だ。中等部から高等部になり、サッカー部も別のチームにはなる。だが、中等部時代に共に戦ったチームメイトがほとんどのはずだ。部外者の自分は、一日でも早くチームに入るほうがいい。
「ほんと、優等生だよなぁ」
神前とは逆に、敵意丸出しなのが秋葉だ。さっきのことを根にもたれただろうか。
「サッカーは、チーム競技だろ?」
そう言いながら、和を乱すように秋葉を睨んだ。今更かもしれないが、弱味を見せたくないと思った。
秋葉も睨み返してきて、しばらく互いに視線を絡ませた。
秋葉はFWだというから、我が強いだろう。そうでなくては務まらない。逆にMFの翔は、我の強さと周囲のチームメイトの連携とをバランスよく融合させなければならない。これで、秋葉のほうが折れるようなら、FWとしては物足りない。
一分もそうして睨みあっていただろうか。折れる様子のない秋葉から、翔はふいっと視線を外して他の三人を見回した。
動じていない神前と、はらはらしている藤枝と、始まったなーという顔で楽しんでいる梶と。三者三様だ。
ばらばらな面子だな、とキャプテンをしてきたという藤枝に感心する。一見、纏まりのない四人なのに、こうしてテーブルを囲んでいる。春休み中で食堂はがらんとしているが、本当に勝手なヤツらなら、そんな中でも一緒に食事を取ろうとしないだろう。
頼りなさそうに見えるけれど、信頼されてんだな。
「明日から、よろしく」
そう言葉を残して、翔は前に席を立った。
「何だ、アイツ。すっげー、嫌味なヤツだな」
翔の姿が見えなくなってすぐ、秋葉がドンッとテーブルを叩いた。
「むかつくー」
さっきまでの高圧的な態度ではなく、子供が不貞腐れている様子だ。藤枝はいつもの秋葉に戻ったなと、密かに笑みを漏らした。ルームメイトが翔に決まってからの秋葉は、落ち着きがなくなっていた。同じ年ながら、世界を相手に戦っている選手だ。緊張もあっただろうし、憧れの選手が突然身近にくるという不安もあったのだろう。
元々、勝気な性格で喧嘩っ早いところはあるけど、初対面の相手にあんなに挑戦的にならなくてもいいだろう。
「でも、さすがというか。落ち着いてたね」
「編入試験の成績も優秀だったと聞いてるよ」
他人にはあまり興味を示さない神前だが、やはり翔のことは気になっているらしい。
「高等部の編入試験って、超難しいって聞いたぜ? 頭もいいのかー」
「梶はもうちょっと勉強もしないと。高等部は留年もあるんだからね」
「わ、わかってるって!」
頬杖をついたまま、むっと頬を膨らませたままの秋葉が気になった。
基本的に人見知りもしないし、誰にでも気軽に声をかける。そのはずなのに―――。
「秋葉、桐生と何かあった?」
午前中の練習を終えて、昼食を採った後、それぞれの部屋に戻った。翔が来たのはその後だろう。
食堂には二人揃ってやってきたから、友好関係が築かれたのかと思ったけれど。様子がおかしい。
「・・・もしかしたら、俺、アイツの逆鱗に触れたのかも」
「逆鱗?」
さっきまでの勢いは消えて項垂れる。ぷしゅーっと空気の抜ける音が聞こえたような気がした。
「あいつのプレイを見てて、ずっと疑問に思ってたことがあってさ。いつか聞きたいって思ってたから。挨拶もそこそこに聞いちゃったんだよなー。そしたら、一気に不機嫌になって怒鳴られた」
感情に走りやすい秋葉らしいというか。思ったら即行動。つくづくFWらしいと可笑しくなる。
「・・・へぇ。桐生でも怒鳴るんだ」
神前が意外だという風に言う。
「そりゃ、誰だって怒鳴るだろ。お前だって試合中、俺のこと怒鳴ってばっかなんだから」
「梶がちんたらやってるからだ」
「わー! 秀ちゃん、絶対零度ー! 冷たすぎ!」
茶化して騒いでいる梶を尻目に、藤枝は「何を聞いたの?」と、秋葉に問いかけた。
秋葉は何か言おうと口を開いたが、そのままの状態で動きを止めた。
「・・・やめとく。広めたら、本当に口、聞いてもらえなくなりそうだ」
しばらく逡巡してからそう言って、はあっと項垂れた。わざとらしく、ごんっと音をたてて額をテーブルに撃ちつけた。試合で失敗をしたときと同じ落ち込み方だ。
秋葉が気付いて、自分が気付かなかった疑問とは何だろう?
気になったけど、これは本人同士の問題だろうし。秋葉も言っていいと思えば話すだろう。
藤枝は同じMFというポジションだったから、秋葉以上に翔のプレイを真剣に見ていたつもりだったのに。すごいプレイをするヤツだと、通り一遍の感想しか抱いていなかった。
だが、もしかしたら自分は、スーパースターという輝きに惑わされて、桐生翔という一人の人間の本質を見抜けずにいるのかもしれない。人好きの秋葉は、惑わされることなく一人の人間として見ているのだ。
明日の練習で。冷静になって見てみよう。
そうすれば、違う面が見えるかもしれない。
食堂を出ると各自の部屋に向かう。同じフロアだが四人とも部屋が違うから、廊下でそのまま解散となった。
「藤枝ー、あとでそっち行く」
「オッケー」
梶はそう言って自分の部屋に消えた。
神前は何も言わずに、自室に入っていく。
「じゃーな」
秋葉に声をかけてドアを開けると、後ろを歩いていた秋葉はするりと藤枝の部屋に滑り込んだ。
「・・・自分の部屋、行けよ」
「今は戻りたくない」
「あのなぁ・・・。初日からそんなんでどうすんだ? 一年間は部屋替えナシだぞ」
ぼすっと帰省中のルームメイトのベッドにダイブして、こっちが言ったことも無視している。
「ごめん、の一言で済むだろ?」
「・・・俺は悪くない」
「責めたんじゃないのか?」
うっと言葉に詰まっている。
秋葉に悪気はないのだろうが、言葉遣いが汚いからよく喧嘩ごしに取られることがある。それに切れ長の視線で見下ろされると、絶対的な威圧感を与えてしまう。誤解されやすいタイプだ。もう少し、言葉を選べばいいのだろうが、かーっと頭に血が上りやすく、そうなると周囲も本人も抑え切れない。
「・・・血の気多いんだよ、秋葉は」
「冷徹な秀一よりマシだと思うけど?」
「神前は冷徹なんじゃないよ。クールなの」
「同じじゃん」
「違うって。それに、時間をおくと余計に気まずくなるだろ? 今のうちに謝っとくほうがいいんじゃない?」
枕を抱えてベッドの上で胡坐座り。
有無を言わさずにその枕を奪い取り、空になった秋葉の手を引っ張る。
「わー! フジの横暴っ!」
「キャプテン命令だ。出てけ!」
「もうキャプテンじゃねーだろ!」
「うるさい。秋葉をのさばらせてたら、チームが回んない!」
力でなら、どちらも引けを取らない。それでもぐいぐいと引っ張ると簡単に秋葉の体は動いた。
それが秋葉の無意識な同意なのだろう。
「ちゃんと、明日までに桐生と仲直りしとけよ!」
「フジー!」
「でないと、お前にパス出してやんない」
「だから、横暴だって!」
「はいはーい。何とでも言って。じゃーねー!」
どんっと突き飛ばすように廊下へ押し出して、バタンッとわざと大きな音を立ててドアを閉めた。
荒治療かもしれないけど。秋葉にはこのほうがいい。
「キャプテンなんて、ただのフォロー係だよなぁ・・・」
はあっと溜息を零すと、藤枝は枕を定位置に戻して、ルームメイトのベッドを整えた。
逃げ込んだ藤枝の部屋からも追い出されてしまっては、もう自室に戻るしかない。
謝るなんて、そんなこっ恥ずかしいこと、できるかよ。
戻るに戻れなくて廊下をうろうろしていたら、「秋葉」と声をかけられた。
「あ、紺谷先輩!」
一年生のフロアに現われたのは、四月から三年生になる高等部のサッカー部キャプテン・紺谷真吾だった。ぴしっと背筋を伸ばして一礼する。
「どうしたんですか?」
「桐生が来たって聞いたんだ。で、ちょっと挨拶でもと思ってな。秋葉、部屋、知ってるか?」
キャプテン自らが挨拶とは。普通なら新入生がキャプテンに挨拶に行かなければいけないところだ。さすがスーパースターだなと、感心してもいられない。
「・・・俺と同室です」
「そうなのか。じゃあ、一緒に行くか」
やっぱり、そうくるよな。紺谷相手では、気まずいので部屋に戻りたくないなどとは言えない。
「はい・・・」
先導する形で歩き出す。強制的に戻らざるをえなくなったが、一人で戻るよりはマシか。
一応、ノックしてからドアを開ける。
「桐生・・・と。電話中か」
こちらを振り向いた翔の左手に携帯電話があった。とりあえず紺谷を中に入れて、ドアを閉める。紺谷をベッドに座らせ、秋葉は椅子に座った。
「うん、わかってるよ。じゃ、切るよ。・・・航によろしく」
秋葉たちが入ってきたから、無理に会話を終わらせたような気がしたけど。それはそれで、翔の勝手というものだ。
携帯電話を閉じたところで、声をかける。
「桐生」
向こうも気まずいのか秋葉を正視しようとしない。それでも、紺谷が一緒だからか、顔はこっちに向けてきた。
「俺はサッカー部のキャプテンをやらせてもらってる紺谷。君が来るって聞いて、楽しみにしてたんだ」
「・・・よろしくお願いします」
椅子に座っていたが、立ち上がってお辞儀をした。食堂のおばちゃんに対してもこうやって頭を下げていたっけ。育ちがいいというか、躾がいい。
「堅くならなくていいよ。うち、中高と一緒だし寮ってこともあって、他と違ってあんまり上下関係って煩くないんだ」
紺谷が「座って」と言って、ようやく翔は椅子に座った。
じーっと遠慮なく翔の上から下まで眺めている。
「思ったより小柄なんだな。身長は?」
「175です」
「ナベと同じか・・・。立ってもらっていいか?」
「はい」
素直すぎるところが、癪に障る。秋葉に対してはあんなに反抗的だったのに。
紺谷は満足したのか視線を秋葉に向けると、にっと笑った。
「頼もしいMFが来たな」
「逆にうちなんかのチームじゃ、桐生には物足りないんじゃないですかー」
「はははっ。それは、秋葉次第なんじゃないか?」
意味深な言葉で秋葉を挑発して、紺谷はすくっと立ち上がった。紺谷の身長は翔よりも僅かに高いくらいだが、身体の線が太い印象を受ける。肩幅もあり胸板も厚い。
「毎日、午前九時から十二時までグラウンドで練習をしてる。ま、今は春休みでメンバーが欠けてるから練習とは言っても、お遊びみたいなもんだけどな。明日から出れるか?」
「はい。お願いします」
「よし。じゃあ、明日。お手並み拝見させてもらうよ」
ぽんっと軽く肩を叩いて、秋葉にも軽く手を挙げて、紺谷は部屋から出ていった。
うわっ。気まずい。
突然、フレンドリーに話しかけるのも変だし。このまま無言で過ごすもの変だ。かといって、何を話していいのかわからない。中等部から一緒だった気心の知れたヤツらならともかく。今日、初対面の翔を相手に、どんな話題を振っていいか思いつかない。
「・・・今の人、ポジションってどこ?」
逆に翔から会話を振られて、どきりとする。ちらりと顔を見ると、視線は紺谷が出ていったドアを見つめたままだ。
「DFだよ。スイーパーのポジション」
「リベロ?」
「うーん。あんまり攻撃には参加しないかな? でも、キック力はあるよ。カットしたボールを一気に全線に送る」
「ああ、なるほどね」
興味をなくしたのか、ぷいっと視線を外して椅子に座って黙り込む。
今のタイミングで言わなかったら、もう言えないな。
「あー、っと、桐生」
意を決して声をかける。自分でも声が堅いのがわかった。翔は面倒臭そうな顔をしながらも、それでもこっちを見返してくる。俺だったら、ここで無視するなーと自己分析してしまうあたりが、痛い。
「・・・さっきは悪かったな」
「?」
きょとんとした顔で、何を言われているのかわからないといった風だ。何だよ、謝り損かよ。
でも、中途半端にしたままというのも歯切れが悪い。
「俺みたいなのがお前のプレイを批判できる立場じゃねーよな。勝手なこと言って悪かったな」
がなるように一気に言いたいことを言ってしまう。
「・・・何だ。そんなことか」
妙にすっきりした秋葉とは裏腹に、翔は顔を歪めた。やっぱり触れられたくないことだったのか。
「そんなことって・・・。お前は、嫌だったんだろ? だから、謝る」
「別に秋葉が謝る必要ないよ」
「え?」
「いいんだ。―――本当のことだから」
ふっと自嘲気味に小さく笑うと、翔は机に両肘をついて顔を埋めた。
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