■ ■ ■ 傷だらけの僕ら 本編04
「高円宮杯決勝戦。前半十五分で三得点。そこまでは最高だった。俺、あんまり人を褒めるの好きじゃないけど、認めてやるよ。けど、その後。双子の片割れが怪我で交代してから、お前のプレイ、変わったよな?」
投げつけられた問いには答えず、翔は視線を逸らした。
答えられないのではない。答えたくないのだ。
それを『答え』にしてしまったら、認めなくてはいけなくなる。
どんなに自分が認めまいが、事実は変わることなどないことくらいわかっている。
それでも。認めたら、終わってしまう。それが怖い。
「お前、あきらかに手ぇ抜いてるよな?」
うるさい。
「あれから、何度もお前の試合、見たよ。けど、どの試合もあの十五分間とは違った」
うるさい。
「そんなふざけたプレイで、神聖な試合を穢してんじゃねーよ」
うるさい。
「何でだよ? 何で、そんなプレイしてんだよ?」
うるさい。
「おい、何とか言えよっ!」
「うるさいっ!」
一気に捲くし立ててくる秋葉に、翔は大声で叫んでいた。
自分の声の大きさにハッと我に返る。秋葉もびくりと竦んでいた。
「・・・お前には関係ない」
深呼吸をして冷静さを取り戻すと、小さく呟く。翔は秋葉の存在を無視して黙々と荷物の整理を続けた。
翔が中学二年生のときのこと。
境中学校サッカー部は、四月から新たなコーチを迎えて着々と成績を伸ばしていった。夏に開催される全国中学校サッカー大会では、県予選でベスト4に残り、高円宮杯全日本ユースサッカー選手権大会では、見事、県予選を突破、全国大会へと出場した。
この頃はまだ航もサッカー部に所属していた。
翔がMFとして中盤を制し、航はFWとして翔からのパスを受けてゴールを決める。これが境中の得点パターンだった。
双子だからこそのコンビネーションでDFを嘲笑うかのようにかわす。
翔があそこだとボールを蹴りだした先には、必ずマークを外した航が走りこんでいる。一卵性双生児ということを利用してスイッチで敵を撹乱する。互いのプレイを見ることなくても、自然とわかりあえていた。周囲が無理だと諦めるような速いパスでも、絶対に追いつけないと思えるような距離でも。航ならば、翔が出したクロスボールを受け損ねることなどなかった。
必ず、ゴールネットを揺らしてくれた。
自分がゴールを決めたときよりも、二人でパスを繋いでゴールを決めたときのほうが嬉しさは倍増だった。
中盤でボールをキープして相手陣地に攻め込む。
味方のポジションと敵の布陣とを見渡して、その後の展開を読む。
航なら、あそこに走るだろうな。そう感じるスペースにボールを蹴り出す。
それが、自分のやるべきこと。そう思っていたし、それだけで良かった。
あの時までは―――。
全国大会決勝戦。前半十五分に、航が三点目を叩き込んだ。早々のハットトリックに観客が沸く。
だが、ゴールを決めた本人がペナルティエリア内に倒れていた。
「航ーーーっ!」
シュートの瞬間にバランスが崩れていたのは翔も見ていた。だから、誰よりも先に駆け寄った。
左足を押さえて苦しそうに顔を歪めている。
一瞬で、試合続行は不可能だとわかった。
「担架を!」
主審が叫んで、救護係が担架を持ってピッチに入ってきた。
「航! 航! 大丈夫っ?」
苦しげな航の表情に泣き叫ぶように翔が付き添ってピッチから出る。マネージャと監督が駆け寄ってきて、審判に選手交代を告げた。
「・・・翔、ピッチに戻れ」
「けどっ! 航っ!」
「試合。終わって、ねーんだぞ!」
切れ切れに言うと、航はバッと翔の襟元を掴んだ。
「俺たちのサッカーは、こんなところで終わるようなサッカーじゃないだろ? 夢に近づく第一歩だろ! ここまで来て、優勝できませんでしたとか、聞きたくねーからな!」
航は一気に捲くし立てて、最後に力任せに翔を突き飛ばした。
マネージャが付き添う形で担架が運ばれていき、翔は呆然とその場に立ち尽くしていた。
「君、試合再開するよ。戻りなさい」
審判に肩を叩かれ、小さく「はい」と頷いた。
航がゴールを決めたままで中断されていた試合が、相手ボールで再開される。
それからの前半戦の残り時間は、何をやっていたのか覚えていない。
ピッチのどこを探しても、航の姿がない。それが、こんなに不安なことだとは知らなかった。
ボールをもらっても、どこへ蹴り出していいかわからない。いつもならば、ゴールまでの軌跡が読めるのに。所狭しと走り回っていたピッチが、とてつもなく広く感じられて、どれだけ走っても1メートルも進んでいないような錯覚に囚われた。
生まれてからずっと、一日たりとも離れていたことはなかった。それこそ半身を引き裂かれたように身体の安定が取れない。
航の姿ばかり探して、前半を終えた。
「航は?」
ロッカールームへ戻るのも待てずに翔は監督に駆け寄った。マネージャの姿はまだない。
「病院に運ばれたそうだ」
「病院って・・・。そんなに酷いんですか?」
「詳しいことはまだわからん」
監督も渋い表情のままだった。
元々、境中のフォーメーションは翔と航のコンビネーションに拠るところが大きい。中盤を翔が守り、ワントップの航が縦横無尽に敵陣地へ切り込む。航が抜けた穴は大きい。フォーメーションを変えるしかない。
三点先取しているからといって、守りにはいるような試合にはしたくない。
4−5−1の布陣から、4−4−2の布陣へ。監督が説明している間も、翔は放心したままだった。
航がいない。
航がいない。
航がいない。
呪いの言葉のように、頭の中ではその言葉だけがぐるぐると回っていた。
「翔!」
大きな声で名前を呼ばれて、びくりと顔を上げた。
「しっかりしろ! 航に引き摺られるな!」
キャプテンの松永が目の前に立ち、翔を見下ろしていた。
「いつも、双子でセットにするなと言ってたのはお前らだろう? 一人の男だって俺たちに見せてみろ!」
航に引き摺られている?
松永に言われて、そうかと納得する。
双子といえども別々の人間だと周囲には言いながら、二人でひとつという強い連帯感を持っている。
だから、一人になったことが怖かった。
俺って、こんなにメンタルが弱かったんだ・・・。
「翔と航の二人で試合してるわけじゃない。ピッチには他にもメンバーがいる。航だけじゃなくて、お前はチーム全員を動かしてるんだ」
中盤を任されるということは、ゲームを任されるということだ。
指示を出すのは監督かもしれないけれど。実際に試合をしているのは、ピッチに立つ十一人だ。
「みんなが、お前に従う。お前が司令塔だ」
夏の全国中学校サッカー大会が始まる前に、エースナンバーである10番のユニフォームを誰が着るのかという騒動があった。本来ならば三年でキャプテンの松永が着るべきだった。松永もMFだったし、中学の部活動といえば、上下関係が厳しくて先輩は絶対の存在なのだから。
サッカーの試合で10番は特別な番号だ。
『ピッチに立ったら年齢なんて関係ない』
松永はそう言って、10番は翔が着るべきだと言った。このチームで10番を背負えるのは、翔だけだと。それからずっと翔は10番を背負っている。それは、チームを背負っているのと同じだ。
「あの航を活かすパスを出せるお前だ。このチーム全員を活かすパスを出せるだろ! それが、桐生翔のサッカーじゃないのか?」
一年先輩なだけなのに、松永はどんなときでも冷静沈着だ。ボランチのポジションで守備・攻撃ともにチームの要になっている。その松永が、声を荒らげて翔を叱咤している。副キャプテンの住田はおろおろとしながらも、止めに入ろうとしていた。
だが、翔には松永の言葉が胸を打った。怒られているという感じはしなかった。そうじゃない、逆だ。発破をかけて、前へ進む道を作ってくれている。
顔を上げて、松永を見る。やはり、松永の顔には怒りはない。本当のお前はこうじゃないだろうと。さっさと正気に戻れと。優しく諭してくれている。
「・・・最低でしたね、俺」
「ああ、そうだな」
「・・・みんなを活かすパス、か。忘れるところでした。大事なこと」
すとんと肩の力が抜けた。こんなにもガチガチになっていたんだ。
さすが、キャプテンだ、と感心する。
「ようやく、いつもの翔に戻ったな」
「はい」
そうだ。
航とも約束した。
この決勝戦が始まる前の、ほんの雑談だったけれど。
初出場だったから、逆に気負いがなかった。負けて元々なんだから、一勝でもできれば儲け物。そんな軽い気持ちだったから、緊張せずに試合に臨んできた。そうやって、気がついたら決勝まで登りつめていた。
この大会で、航は得点王に、翔はアシスト王になれそうな状態だ。決勝でも二人で点を取れば、決定的になる。双子で揃っての受賞。それも今大会の話題になっていた。
ウォーミングアップで翔とパスをしながら。今日も二人で点を稼ごうぜと笑いあっていた。
この大会だけでなく。
これから経験するたくさんの大会でも。
二人で得点王とアシスト王を独占してやろうぜ、と。
世界中のゴールを揺らしてやろうぜ、と。
他愛もない夢物語。でも、今の自分たちなら何だって出来る気がした。
航が前半で決めた得点は三点。今ならまだ得点王は航だ。二位につけているのは、対戦相手のFW。得点差は三点。これ以上、点をやるわけにはいかない。
このチームのポイントゲッターが欠けてしまったことは、相手チームもわかっている。自分たちが有利だと攻めの態勢で向かってくるだろう。
でも。だからこそ。
航が抜けたから負けたなんてことは、傷ついた航に伝えられない。
辛そうな航の顔が浮かんだ。あれ以上、航の顔を苦痛で歪めたくない。
後半、立ち直った翔は、松永が言ったように『みんなを活かすパス』を繋いだ。
見る人が見ればわかる。そのパスは航に出していたパスとは明らかに違っていた。航へのパスは、味方すら意表をつかされるようなトリッキーなパスが多い。足が速く運動量の多い航は、神出鬼没に敵の裏をかく。その意図を読んで誰もいないスペースに蹴り出されるパスだから、何の変哲も無いパスでもトリッキーに見えてしまうのだ。
同じパスを他のチームメイトには出せない。
同じパスを出しても、誰も航と同じようには動いてはくれない。
チームメイトそれぞれに特技や苦手はあり、それを考えて繰り出すパスは、力加減でもやや抑えられたものになっていた。
手を抜いているわけではない。相手に合わせているだけなのだ。
だが、航とのコンビプレイを見た後となっては、それは幼稚なものに見えてしまう。
秋葉が言うように、航相手の時とはまったく同じプレイではないのだ。
あの決勝戦以来、航はサッカー部の練習に出てこなくなった。
最初のうちは、怪我の治療とリハビリということで、誰も何の疑問も持っていなかった。
しかし、怪我が治ってからも、いつまでも部活に出てこようとしない。問い詰めても理由は答えてもらえず、そうこうするうちに、監督から航が退部届を出したことを聞かされた。
何の相談も説明もなしに。
どうして?
何度、聞いても明確な答えは得られなくて。
いつの間にか、二人の間ではサッカーの話題を出すこともなくなった。
それ以外の話題なら、航は今までと変わらずに答えてくれる。
航が怪我で途中退場した直後のように、ぐらぐらと足元が掬われてしまう。辛うじて立ってはいるけれど、いつ泥沼にはまってしまうか、いつ谷底へ転げ落ちるか、翔自身にも先が見通せないでいた。
秋葉は部屋から出ていくわけでもなく、だらだらとベッドの上で漫画を読んでいた。何も話しかけてこない。
それが、余計に自分の罪を突きつけられているようで、少し胸が痛んだ。
投げつけられた問いには答えず、翔は視線を逸らした。
答えられないのではない。答えたくないのだ。
それを『答え』にしてしまったら、認めなくてはいけなくなる。
どんなに自分が認めまいが、事実は変わることなどないことくらいわかっている。
それでも。認めたら、終わってしまう。それが怖い。
「お前、あきらかに手ぇ抜いてるよな?」
うるさい。
「あれから、何度もお前の試合、見たよ。けど、どの試合もあの十五分間とは違った」
うるさい。
「そんなふざけたプレイで、神聖な試合を穢してんじゃねーよ」
うるさい。
「何でだよ? 何で、そんなプレイしてんだよ?」
うるさい。
「おい、何とか言えよっ!」
「うるさいっ!」
一気に捲くし立ててくる秋葉に、翔は大声で叫んでいた。
自分の声の大きさにハッと我に返る。秋葉もびくりと竦んでいた。
「・・・お前には関係ない」
深呼吸をして冷静さを取り戻すと、小さく呟く。翔は秋葉の存在を無視して黙々と荷物の整理を続けた。
翔が中学二年生のときのこと。
境中学校サッカー部は、四月から新たなコーチを迎えて着々と成績を伸ばしていった。夏に開催される全国中学校サッカー大会では、県予選でベスト4に残り、高円宮杯全日本ユースサッカー選手権大会では、見事、県予選を突破、全国大会へと出場した。
この頃はまだ航もサッカー部に所属していた。
翔がMFとして中盤を制し、航はFWとして翔からのパスを受けてゴールを決める。これが境中の得点パターンだった。
双子だからこそのコンビネーションでDFを嘲笑うかのようにかわす。
翔があそこだとボールを蹴りだした先には、必ずマークを外した航が走りこんでいる。一卵性双生児ということを利用してスイッチで敵を撹乱する。互いのプレイを見ることなくても、自然とわかりあえていた。周囲が無理だと諦めるような速いパスでも、絶対に追いつけないと思えるような距離でも。航ならば、翔が出したクロスボールを受け損ねることなどなかった。
必ず、ゴールネットを揺らしてくれた。
自分がゴールを決めたときよりも、二人でパスを繋いでゴールを決めたときのほうが嬉しさは倍増だった。
中盤でボールをキープして相手陣地に攻め込む。
味方のポジションと敵の布陣とを見渡して、その後の展開を読む。
航なら、あそこに走るだろうな。そう感じるスペースにボールを蹴り出す。
それが、自分のやるべきこと。そう思っていたし、それだけで良かった。
あの時までは―――。
全国大会決勝戦。前半十五分に、航が三点目を叩き込んだ。早々のハットトリックに観客が沸く。
だが、ゴールを決めた本人がペナルティエリア内に倒れていた。
「航ーーーっ!」
シュートの瞬間にバランスが崩れていたのは翔も見ていた。だから、誰よりも先に駆け寄った。
左足を押さえて苦しそうに顔を歪めている。
一瞬で、試合続行は不可能だとわかった。
「担架を!」
主審が叫んで、救護係が担架を持ってピッチに入ってきた。
「航! 航! 大丈夫っ?」
苦しげな航の表情に泣き叫ぶように翔が付き添ってピッチから出る。マネージャと監督が駆け寄ってきて、審判に選手交代を告げた。
「・・・翔、ピッチに戻れ」
「けどっ! 航っ!」
「試合。終わって、ねーんだぞ!」
切れ切れに言うと、航はバッと翔の襟元を掴んだ。
「俺たちのサッカーは、こんなところで終わるようなサッカーじゃないだろ? 夢に近づく第一歩だろ! ここまで来て、優勝できませんでしたとか、聞きたくねーからな!」
航は一気に捲くし立てて、最後に力任せに翔を突き飛ばした。
マネージャが付き添う形で担架が運ばれていき、翔は呆然とその場に立ち尽くしていた。
「君、試合再開するよ。戻りなさい」
審判に肩を叩かれ、小さく「はい」と頷いた。
航がゴールを決めたままで中断されていた試合が、相手ボールで再開される。
それからの前半戦の残り時間は、何をやっていたのか覚えていない。
ピッチのどこを探しても、航の姿がない。それが、こんなに不安なことだとは知らなかった。
ボールをもらっても、どこへ蹴り出していいかわからない。いつもならば、ゴールまでの軌跡が読めるのに。所狭しと走り回っていたピッチが、とてつもなく広く感じられて、どれだけ走っても1メートルも進んでいないような錯覚に囚われた。
生まれてからずっと、一日たりとも離れていたことはなかった。それこそ半身を引き裂かれたように身体の安定が取れない。
航の姿ばかり探して、前半を終えた。
「航は?」
ロッカールームへ戻るのも待てずに翔は監督に駆け寄った。マネージャの姿はまだない。
「病院に運ばれたそうだ」
「病院って・・・。そんなに酷いんですか?」
「詳しいことはまだわからん」
監督も渋い表情のままだった。
元々、境中のフォーメーションは翔と航のコンビネーションに拠るところが大きい。中盤を翔が守り、ワントップの航が縦横無尽に敵陣地へ切り込む。航が抜けた穴は大きい。フォーメーションを変えるしかない。
三点先取しているからといって、守りにはいるような試合にはしたくない。
4−5−1の布陣から、4−4−2の布陣へ。監督が説明している間も、翔は放心したままだった。
航がいない。
航がいない。
航がいない。
呪いの言葉のように、頭の中ではその言葉だけがぐるぐると回っていた。
「翔!」
大きな声で名前を呼ばれて、びくりと顔を上げた。
「しっかりしろ! 航に引き摺られるな!」
キャプテンの松永が目の前に立ち、翔を見下ろしていた。
「いつも、双子でセットにするなと言ってたのはお前らだろう? 一人の男だって俺たちに見せてみろ!」
航に引き摺られている?
松永に言われて、そうかと納得する。
双子といえども別々の人間だと周囲には言いながら、二人でひとつという強い連帯感を持っている。
だから、一人になったことが怖かった。
俺って、こんなにメンタルが弱かったんだ・・・。
「翔と航の二人で試合してるわけじゃない。ピッチには他にもメンバーがいる。航だけじゃなくて、お前はチーム全員を動かしてるんだ」
中盤を任されるということは、ゲームを任されるということだ。
指示を出すのは監督かもしれないけれど。実際に試合をしているのは、ピッチに立つ十一人だ。
「みんなが、お前に従う。お前が司令塔だ」
夏の全国中学校サッカー大会が始まる前に、エースナンバーである10番のユニフォームを誰が着るのかという騒動があった。本来ならば三年でキャプテンの松永が着るべきだった。松永もMFだったし、中学の部活動といえば、上下関係が厳しくて先輩は絶対の存在なのだから。
サッカーの試合で10番は特別な番号だ。
『ピッチに立ったら年齢なんて関係ない』
松永はそう言って、10番は翔が着るべきだと言った。このチームで10番を背負えるのは、翔だけだと。それからずっと翔は10番を背負っている。それは、チームを背負っているのと同じだ。
「あの航を活かすパスを出せるお前だ。このチーム全員を活かすパスを出せるだろ! それが、桐生翔のサッカーじゃないのか?」
一年先輩なだけなのに、松永はどんなときでも冷静沈着だ。ボランチのポジションで守備・攻撃ともにチームの要になっている。その松永が、声を荒らげて翔を叱咤している。副キャプテンの住田はおろおろとしながらも、止めに入ろうとしていた。
だが、翔には松永の言葉が胸を打った。怒られているという感じはしなかった。そうじゃない、逆だ。発破をかけて、前へ進む道を作ってくれている。
顔を上げて、松永を見る。やはり、松永の顔には怒りはない。本当のお前はこうじゃないだろうと。さっさと正気に戻れと。優しく諭してくれている。
「・・・最低でしたね、俺」
「ああ、そうだな」
「・・・みんなを活かすパス、か。忘れるところでした。大事なこと」
すとんと肩の力が抜けた。こんなにもガチガチになっていたんだ。
さすが、キャプテンだ、と感心する。
「ようやく、いつもの翔に戻ったな」
「はい」
そうだ。
航とも約束した。
この決勝戦が始まる前の、ほんの雑談だったけれど。
初出場だったから、逆に気負いがなかった。負けて元々なんだから、一勝でもできれば儲け物。そんな軽い気持ちだったから、緊張せずに試合に臨んできた。そうやって、気がついたら決勝まで登りつめていた。
この大会で、航は得点王に、翔はアシスト王になれそうな状態だ。決勝でも二人で点を取れば、決定的になる。双子で揃っての受賞。それも今大会の話題になっていた。
ウォーミングアップで翔とパスをしながら。今日も二人で点を稼ごうぜと笑いあっていた。
この大会だけでなく。
これから経験するたくさんの大会でも。
二人で得点王とアシスト王を独占してやろうぜ、と。
世界中のゴールを揺らしてやろうぜ、と。
他愛もない夢物語。でも、今の自分たちなら何だって出来る気がした。
航が前半で決めた得点は三点。今ならまだ得点王は航だ。二位につけているのは、対戦相手のFW。得点差は三点。これ以上、点をやるわけにはいかない。
このチームのポイントゲッターが欠けてしまったことは、相手チームもわかっている。自分たちが有利だと攻めの態勢で向かってくるだろう。
でも。だからこそ。
航が抜けたから負けたなんてことは、傷ついた航に伝えられない。
辛そうな航の顔が浮かんだ。あれ以上、航の顔を苦痛で歪めたくない。
後半、立ち直った翔は、松永が言ったように『みんなを活かすパス』を繋いだ。
見る人が見ればわかる。そのパスは航に出していたパスとは明らかに違っていた。航へのパスは、味方すら意表をつかされるようなトリッキーなパスが多い。足が速く運動量の多い航は、神出鬼没に敵の裏をかく。その意図を読んで誰もいないスペースに蹴り出されるパスだから、何の変哲も無いパスでもトリッキーに見えてしまうのだ。
同じパスを他のチームメイトには出せない。
同じパスを出しても、誰も航と同じようには動いてはくれない。
チームメイトそれぞれに特技や苦手はあり、それを考えて繰り出すパスは、力加減でもやや抑えられたものになっていた。
手を抜いているわけではない。相手に合わせているだけなのだ。
だが、航とのコンビプレイを見た後となっては、それは幼稚なものに見えてしまう。
秋葉が言うように、航相手の時とはまったく同じプレイではないのだ。
あの決勝戦以来、航はサッカー部の練習に出てこなくなった。
最初のうちは、怪我の治療とリハビリということで、誰も何の疑問も持っていなかった。
しかし、怪我が治ってからも、いつまでも部活に出てこようとしない。問い詰めても理由は答えてもらえず、そうこうするうちに、監督から航が退部届を出したことを聞かされた。
何の相談も説明もなしに。
どうして?
何度、聞いても明確な答えは得られなくて。
いつの間にか、二人の間ではサッカーの話題を出すこともなくなった。
それ以外の話題なら、航は今までと変わらずに答えてくれる。
航が怪我で途中退場した直後のように、ぐらぐらと足元が掬われてしまう。辛うじて立ってはいるけれど、いつ泥沼にはまってしまうか、いつ谷底へ転げ落ちるか、翔自身にも先が見通せないでいた。
秋葉は部屋から出ていくわけでもなく、だらだらとベッドの上で漫画を読んでいた。何も話しかけてこない。
それが、余計に自分の罪を突きつけられているようで、少し胸が痛んだ。
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