■ ■ ■ 傷だらけの僕ら 本編03
四月から翔が入学することとなった暁星学院は、中高一貫教育の私立校だ。
文武両道を理念に掲げており、以前から運動部・文化部を問わず全国大会やコンクールの常連校に数えられている。
サッカー部も例外ではなく、高校サッカーの華と言われる全国高校サッカー選手権にも県代表として何度も出場しており、全国大会でもベスト8に残るなどの成績を収めている。OBにはJリーグ入りをした選手や、全日本代表になった選手もおり、県内では随一の人気と実力を誇る。
全寮制のこの学校は、市街地から車で三十分ほど走った山中にある。
同じ県内ではあるけれど、翔の自宅は海まで迫り出た山を越えるとそこはもう隣県になる。自県の県庁所在地よりも隣県の県庁所在地のほうが近いという立地だ。
遠く離れた県庁所在にある駅まで電車で出て、そこから学校まではバスに乗り換えだ。のんびりと進むバスに揺られながら、翔は段々と民家がなくなっていく様子を眺めていた。
さすがに全寮制だけのことはある。こんなところじゃ通学しろというほうが無謀だ。
バスはもう二十分も走っているが、まだ平地が続いている。以前、両親と見学に来たときは、自宅から車で来たから、今日とは違うルートだった。あの時は、ひたすら山道を上ったり下りたりしていたような記憶がある。
駅から来ると、こんなもんなのか?
バスは海へと流れる河川の堤防へと出た。とうとうと流れる川は、自宅のそばを流れる境川とは比べ物にならないくらいの水量を湛えている。この川が削り取った扇状地だから、こんなにも平野が続いているのか。
いつも視界が山で遮られていた自分の家とは大違いだ。家と家との間は無駄なくらいに、広い。贅沢だなと思う。
あの町にもこれくらいの平地があったら―――。考えても仕方がないことだ。
堤防を少し走ると、橋で対岸へと渡った。するとそこからは、一気に上り坂になった。だが、山というほどの急勾配ではない。丘陵と呼ぶほうが相応しいか。
そんなことを考えていると、「次は暁星学院前ー」とアナウンスが鳴った。
「兄ちゃん、新入生かい?」
バスを降りるとき、運転手が聞いてきた。ここで降りるのは翔一人のようだ。
「あ、はい」
「そうかい・・・。頑張んなよ」
「はい。ありがとうございます」
反射的に頭を下げて、翔はステップを降りた。
道路から校門までは、緩い上り坂のスロープが続いていた。門に向かって歩き始めると、後ろでバスがクラクションを鳴らして発進した。
その音に振り返ると、先ほどまでバスで走り抜けてきた平野が一望できた。木立が途切れていて見晴らしがいい。見下ろす風景が都会ならば、ネオン輝く夜景が美しいだろう。
門までたどり着くと、その正面に塔が見えた。一瞬、ここってカトリック系だっけ?と疑問が浮かんだが、塔には鐘があるわけではなく、ただの時計塔のようだった。さすがに広い。門の脇にある守衛室で新入生である旨と名前を名乗ると、寮の場所を指示された。そこで寮監の橘という教師から指示を受けろと言われた。
敷地内に入ってすぐに、学院内の見取り図があった。寮の場所を再確認してから、グラウンドの場所を目指した。最初にどうしても見ておきたかった。
さすがに、グラウンドも広い。
野球用のバックネットが見えた。野球部が練習をしている。
「あ・・・!」
そのグラウンドの向こうにサッカーゴールが見えた。
凄い。専用グラウンドがあるんだ。これも土地を贅沢に使えるからこそか。
あのフィールドを駆け回る自分の姿を想像した。
縦横無尽に、思いのままに。
明日から、俺もここで思う存分、サッカーができるんだ。そう思うとワクワクする。
まだ冷たさの残る風が、山から吹き降りてくる。きっと身を引き締めて、寮へと向かった。
本来、新入生の入寮日は来週の土日を指定されていた。ほとんどの生徒はその時に両親と荷物と一緒にやってくるのだという。だが、翔のようにスポーツ推薦で入学した生徒の中には、少しでも早く部活動に参加するために早めに入寮する者もいるとの話だ。春休みでも部活は行われているから、運動部の生徒は多くが寮に残っているらしい。
「同室の子は中等部からここにいる子だから、色々聞くといいよ」
中等部の寮は、四人一室。高等部の寮は、二人一室ということになっている。高等部の三年生だけ個室というのは、受験勉強のためだろう。大学がないこの学校ならではなのかもしれない。
「共同生活は慣れないかもしれないけど。これも社会勉強の一つだと思って、仲良くやりなさい」
「はい」
頷いておきながら、少し不安が過ぎった。
最近は少子化の影響で一人っ子が増えている。子供が一人ならば、家では専用の部屋が与えられているのが普通だ。寮生活で初めて共同生活を体験する生徒がほとんどだろう。
だが、翔は幼い頃からずっと航と同じ部屋で過ごしてきた。別々の部屋になったのは、ほんの一年半ほど前のことだった。
誰かが同じ部屋にいるということには慣れているけれど。それが、兄弟と他人とでは勝手が違う。
サッカー部の合宿でみんなで雑魚寝したりしていたけれど。それはたかだか数泊のこと。毎日ずっととなると、他人と上手くやっていけるかは自信がない。
だが、それはここに入学した生徒ならば、誰もが同じ条件。
全寮制と知りながら、決めたのは自分自身。こんなことで怯んでどうするんだ。
橘がドアをノックすると、中から「開いてまーす」と、どこか間延びした声が聞こえた。
「同室の桐生君を案内してきたんだ」
「そっか。今日だっけ? 俺、勝手にこっち使ってるから、そっち使ってもらって」
やけに砕けた物言いなのが気になった。中等部からここに在学しているのならば、もう顔見知りだからおかしくないのか。自分とて中のいい教師とはタメ口だったな、と思い出す。
手招きされて、翔は部屋のドアをくぐった。
白い壁の明るい室内だ。ドアの正面、窓側に机や本棚・チェストがあり、両脇にそれぞれベッドがある。
「部屋の中でのことは、二人で相談して決めなさい。寮監はそこまで口出さないから」
「わかりました」
「じゃあ、何かあったら寮監室にいるから」
「はい。ありがとうございます」
頭を下げると、橘はひらひらと手を振って部屋から出ていった。
入って右のベッドには同室の少年が座って漫画を読んでいる。翔は左側のベッドの上に持ってきたスポーツバッグを置く。その動きをじーっと見ている少年の視線に、彼に向き直った。
「えと、俺は・・・」
「知ってる。桐生翔だろ?」
読んでいた漫画を投げ出して、翔に笑顔を見せた。
「あ、ああ・・・」
いきなりフルネームを呼ばれて、どもってしまった。
中高一貫教育であるため、ほとんどの生徒は中学からのエスカレーターだ。高校から入学するのは、翔のような推薦枠の生徒が多いと聞いているう。寮生活をしていれば、同じ学年の全員の名前くらい覚えていてもおかしくないし、同室となるルームメイトの名前なのだから、知らされた時点で覚えているか。
「二年連続県代表になった境中のMF。そして二年連続県のアシスト王、だろ?」
適当に理由を分析していたのに、すらすらと過去のサッカー経歴を並べ立てられて、翔は怪訝な顔になる。
「俺は秋葉伸和。あきばって濁らすなよ?」
「・・・あきは」
「よし」
ぐっと親指を立てられても、余計に警戒心が増す。
いくら県大会の優勝者とは言っても、たかだか中学生のサッカー大会だ。サッカーに興味がない人間が知っているはずはない。『境中サッカー部の翔』を知っているということはつまり、こいつもサッカーをやっているということだ。
「秋葉もサッカー部?」
「まあな。U−15代表に選ばれるほどの有名人、知らないわけないだろ」
やっぱりか。同じスポーツをやっているからこそのネームバリュー。
中学二年の時。翔が所属していた境中サッカー部は高円宮杯全日本ユースサッカー選手権の県予選で初優勝を飾り、その勢いのままに全国大会でも優勝を果たした。初出場チームが初優勝。しかも、ここ何年もクラブユースが優勝を独占してきた大会史の中で、久しぶりに中学校サッカー部が優勝したということで、おおいに話題になった。
クラブユースのほうがコーチ陣が揃っているし、練習メニューもかなり違う。翔も出来ることならクラブチームに入りたかったが、無いものは仕方がない。結局、サッカーをやろうと思ったら中学校のサッカー部に所属するしかなかったのだ。
小学校にはサッカーチームすらなかった。授業が終わった後の校庭で、野球チームに文句を言われながら、サッカー好きの少年たちとボールを蹴りあうだけだった。
中学校にサッカー部があるだけでも嬉しいことだった。
だが、人間の欲望は強欲なもので、もっと上手く、と高みを目指してしまう。
一年生のときに、この暁星学院中等部のサッカー部にレベルの差を見せつけらた。ちょうどコーチが変わったこともあり、二年生のときには急成長を遂げて、県大会上位の常連になり、高円宮杯では念願の暁星学院を破っての優勝を果たした。
全国大会優勝後、翔たちの環境はがらりと変わった。
中学校ではグラウンド使用の優先権が与えられ、ナイター照明も取り付けられた。部室も新しく建てられたし、ユニフォームも新調してもらえた。他校からの練習試合の申し出も増え、県外への遠征も組まれた。優勝の立役者となった翔やキャプテンなどはナショナルトレセンのメンバーに選ばれたりして、よりレベルの高い指導を受けることもできた。
選手の育成には環境が大きく影響することを知った。
実力も認められて、高校進学時にはいくつかの高校から推薦入学の誘いがあった。
楽しいだけのサッカーで終わるのか。それとも、世界へ挑戦するのか。迷っていた翔の背中を最終的に押したのは、航だった。
『こんなところで終わるようなサッカーじゃないだろ?』
そうだな。確かに、そうだ。
世界を目指すと、約束したんだった。
迷いを断ち切って、選びうる選択肢の中から、この学校を選んだ。
もっと早くに暁星学院のことを知っていたら、中等部から入りたかったな。
かつてのライバル校に進学することになったけれど、不思議と嫌悪感なんかはなかった。
代表チームとして戦ってきて、かつての最強のライバルが同じチームになったときには最強のチームメイトになることを知っていたから。
「俺はFWなんだけどさ。一つ、桐生に聞いときたいことがあんだけど?」
話しながら積まれたダンボールの荷解きをしていたが。秋葉の言葉にはかなりの毒が含まれていて、振り向かずにはいられなかった。
ゆっくりと立ち上がり、秋葉を睨み見返す。警戒心が更に増していて、殺気立っていたかもしれない。
そんな翔のオーラを跳ね返すように、秋葉は口角を上げて不遜な笑みを浮かべた。
「高円宮杯決勝戦。前半十五分で三得点。そこまでは最高だったよ。あんまり人を褒めるの好きじゃないけど、素直に認めてやるよ。けど、その後。双子の片割れが怪我で交代してから、お前のプレイ、変わったよな?」
すうっと翔を取り囲む空気が変わった。
誰もが気付いていながら、問いたださなかったその質問を。今更、蒸し返されるとは思わなかった。
その話題に触れることは、境中サッカー部の中ではタブーになっていた。翔がそうしたわけではないけれど、暗黙の了解のように皆が口を閉ざして触れずにきた。
「お前、あきらかに手ぇ抜いてるよな?」
挑戦的な瞳で鋭い言葉を投げつけてくる秋葉を、きつく睨んだまま口を噤んだ。
文武両道を理念に掲げており、以前から運動部・文化部を問わず全国大会やコンクールの常連校に数えられている。
サッカー部も例外ではなく、高校サッカーの華と言われる全国高校サッカー選手権にも県代表として何度も出場しており、全国大会でもベスト8に残るなどの成績を収めている。OBにはJリーグ入りをした選手や、全日本代表になった選手もおり、県内では随一の人気と実力を誇る。
全寮制のこの学校は、市街地から車で三十分ほど走った山中にある。
同じ県内ではあるけれど、翔の自宅は海まで迫り出た山を越えるとそこはもう隣県になる。自県の県庁所在地よりも隣県の県庁所在地のほうが近いという立地だ。
遠く離れた県庁所在にある駅まで電車で出て、そこから学校まではバスに乗り換えだ。のんびりと進むバスに揺られながら、翔は段々と民家がなくなっていく様子を眺めていた。
さすがに全寮制だけのことはある。こんなところじゃ通学しろというほうが無謀だ。
バスはもう二十分も走っているが、まだ平地が続いている。以前、両親と見学に来たときは、自宅から車で来たから、今日とは違うルートだった。あの時は、ひたすら山道を上ったり下りたりしていたような記憶がある。
駅から来ると、こんなもんなのか?
バスは海へと流れる河川の堤防へと出た。とうとうと流れる川は、自宅のそばを流れる境川とは比べ物にならないくらいの水量を湛えている。この川が削り取った扇状地だから、こんなにも平野が続いているのか。
いつも視界が山で遮られていた自分の家とは大違いだ。家と家との間は無駄なくらいに、広い。贅沢だなと思う。
あの町にもこれくらいの平地があったら―――。考えても仕方がないことだ。
堤防を少し走ると、橋で対岸へと渡った。するとそこからは、一気に上り坂になった。だが、山というほどの急勾配ではない。丘陵と呼ぶほうが相応しいか。
そんなことを考えていると、「次は暁星学院前ー」とアナウンスが鳴った。
「兄ちゃん、新入生かい?」
バスを降りるとき、運転手が聞いてきた。ここで降りるのは翔一人のようだ。
「あ、はい」
「そうかい・・・。頑張んなよ」
「はい。ありがとうございます」
反射的に頭を下げて、翔はステップを降りた。
道路から校門までは、緩い上り坂のスロープが続いていた。門に向かって歩き始めると、後ろでバスがクラクションを鳴らして発進した。
その音に振り返ると、先ほどまでバスで走り抜けてきた平野が一望できた。木立が途切れていて見晴らしがいい。見下ろす風景が都会ならば、ネオン輝く夜景が美しいだろう。
門までたどり着くと、その正面に塔が見えた。一瞬、ここってカトリック系だっけ?と疑問が浮かんだが、塔には鐘があるわけではなく、ただの時計塔のようだった。さすがに広い。門の脇にある守衛室で新入生である旨と名前を名乗ると、寮の場所を指示された。そこで寮監の橘という教師から指示を受けろと言われた。
敷地内に入ってすぐに、学院内の見取り図があった。寮の場所を再確認してから、グラウンドの場所を目指した。最初にどうしても見ておきたかった。
さすがに、グラウンドも広い。
野球用のバックネットが見えた。野球部が練習をしている。
「あ・・・!」
そのグラウンドの向こうにサッカーゴールが見えた。
凄い。専用グラウンドがあるんだ。これも土地を贅沢に使えるからこそか。
あのフィールドを駆け回る自分の姿を想像した。
縦横無尽に、思いのままに。
明日から、俺もここで思う存分、サッカーができるんだ。そう思うとワクワクする。
まだ冷たさの残る風が、山から吹き降りてくる。きっと身を引き締めて、寮へと向かった。
本来、新入生の入寮日は来週の土日を指定されていた。ほとんどの生徒はその時に両親と荷物と一緒にやってくるのだという。だが、翔のようにスポーツ推薦で入学した生徒の中には、少しでも早く部活動に参加するために早めに入寮する者もいるとの話だ。春休みでも部活は行われているから、運動部の生徒は多くが寮に残っているらしい。
「同室の子は中等部からここにいる子だから、色々聞くといいよ」
中等部の寮は、四人一室。高等部の寮は、二人一室ということになっている。高等部の三年生だけ個室というのは、受験勉強のためだろう。大学がないこの学校ならではなのかもしれない。
「共同生活は慣れないかもしれないけど。これも社会勉強の一つだと思って、仲良くやりなさい」
「はい」
頷いておきながら、少し不安が過ぎった。
最近は少子化の影響で一人っ子が増えている。子供が一人ならば、家では専用の部屋が与えられているのが普通だ。寮生活で初めて共同生活を体験する生徒がほとんどだろう。
だが、翔は幼い頃からずっと航と同じ部屋で過ごしてきた。別々の部屋になったのは、ほんの一年半ほど前のことだった。
誰かが同じ部屋にいるということには慣れているけれど。それが、兄弟と他人とでは勝手が違う。
サッカー部の合宿でみんなで雑魚寝したりしていたけれど。それはたかだか数泊のこと。毎日ずっととなると、他人と上手くやっていけるかは自信がない。
だが、それはここに入学した生徒ならば、誰もが同じ条件。
全寮制と知りながら、決めたのは自分自身。こんなことで怯んでどうするんだ。
橘がドアをノックすると、中から「開いてまーす」と、どこか間延びした声が聞こえた。
「同室の桐生君を案内してきたんだ」
「そっか。今日だっけ? 俺、勝手にこっち使ってるから、そっち使ってもらって」
やけに砕けた物言いなのが気になった。中等部からここに在学しているのならば、もう顔見知りだからおかしくないのか。自分とて中のいい教師とはタメ口だったな、と思い出す。
手招きされて、翔は部屋のドアをくぐった。
白い壁の明るい室内だ。ドアの正面、窓側に机や本棚・チェストがあり、両脇にそれぞれベッドがある。
「部屋の中でのことは、二人で相談して決めなさい。寮監はそこまで口出さないから」
「わかりました」
「じゃあ、何かあったら寮監室にいるから」
「はい。ありがとうございます」
頭を下げると、橘はひらひらと手を振って部屋から出ていった。
入って右のベッドには同室の少年が座って漫画を読んでいる。翔は左側のベッドの上に持ってきたスポーツバッグを置く。その動きをじーっと見ている少年の視線に、彼に向き直った。
「えと、俺は・・・」
「知ってる。桐生翔だろ?」
読んでいた漫画を投げ出して、翔に笑顔を見せた。
「あ、ああ・・・」
いきなりフルネームを呼ばれて、どもってしまった。
中高一貫教育であるため、ほとんどの生徒は中学からのエスカレーターだ。高校から入学するのは、翔のような推薦枠の生徒が多いと聞いているう。寮生活をしていれば、同じ学年の全員の名前くらい覚えていてもおかしくないし、同室となるルームメイトの名前なのだから、知らされた時点で覚えているか。
「二年連続県代表になった境中のMF。そして二年連続県のアシスト王、だろ?」
適当に理由を分析していたのに、すらすらと過去のサッカー経歴を並べ立てられて、翔は怪訝な顔になる。
「俺は秋葉伸和。あきばって濁らすなよ?」
「・・・あきは」
「よし」
ぐっと親指を立てられても、余計に警戒心が増す。
いくら県大会の優勝者とは言っても、たかだか中学生のサッカー大会だ。サッカーに興味がない人間が知っているはずはない。『境中サッカー部の翔』を知っているということはつまり、こいつもサッカーをやっているということだ。
「秋葉もサッカー部?」
「まあな。U−15代表に選ばれるほどの有名人、知らないわけないだろ」
やっぱりか。同じスポーツをやっているからこそのネームバリュー。
中学二年の時。翔が所属していた境中サッカー部は高円宮杯全日本ユースサッカー選手権の県予選で初優勝を飾り、その勢いのままに全国大会でも優勝を果たした。初出場チームが初優勝。しかも、ここ何年もクラブユースが優勝を独占してきた大会史の中で、久しぶりに中学校サッカー部が優勝したということで、おおいに話題になった。
クラブユースのほうがコーチ陣が揃っているし、練習メニューもかなり違う。翔も出来ることならクラブチームに入りたかったが、無いものは仕方がない。結局、サッカーをやろうと思ったら中学校のサッカー部に所属するしかなかったのだ。
小学校にはサッカーチームすらなかった。授業が終わった後の校庭で、野球チームに文句を言われながら、サッカー好きの少年たちとボールを蹴りあうだけだった。
中学校にサッカー部があるだけでも嬉しいことだった。
だが、人間の欲望は強欲なもので、もっと上手く、と高みを目指してしまう。
一年生のときに、この暁星学院中等部のサッカー部にレベルの差を見せつけらた。ちょうどコーチが変わったこともあり、二年生のときには急成長を遂げて、県大会上位の常連になり、高円宮杯では念願の暁星学院を破っての優勝を果たした。
全国大会優勝後、翔たちの環境はがらりと変わった。
中学校ではグラウンド使用の優先権が与えられ、ナイター照明も取り付けられた。部室も新しく建てられたし、ユニフォームも新調してもらえた。他校からの練習試合の申し出も増え、県外への遠征も組まれた。優勝の立役者となった翔やキャプテンなどはナショナルトレセンのメンバーに選ばれたりして、よりレベルの高い指導を受けることもできた。
選手の育成には環境が大きく影響することを知った。
実力も認められて、高校進学時にはいくつかの高校から推薦入学の誘いがあった。
楽しいだけのサッカーで終わるのか。それとも、世界へ挑戦するのか。迷っていた翔の背中を最終的に押したのは、航だった。
『こんなところで終わるようなサッカーじゃないだろ?』
そうだな。確かに、そうだ。
世界を目指すと、約束したんだった。
迷いを断ち切って、選びうる選択肢の中から、この学校を選んだ。
もっと早くに暁星学院のことを知っていたら、中等部から入りたかったな。
かつてのライバル校に進学することになったけれど、不思議と嫌悪感なんかはなかった。
代表チームとして戦ってきて、かつての最強のライバルが同じチームになったときには最強のチームメイトになることを知っていたから。
「俺はFWなんだけどさ。一つ、桐生に聞いときたいことがあんだけど?」
話しながら積まれたダンボールの荷解きをしていたが。秋葉の言葉にはかなりの毒が含まれていて、振り向かずにはいられなかった。
ゆっくりと立ち上がり、秋葉を睨み見返す。警戒心が更に増していて、殺気立っていたかもしれない。
そんな翔のオーラを跳ね返すように、秋葉は口角を上げて不遜な笑みを浮かべた。
「高円宮杯決勝戦。前半十五分で三得点。そこまでは最高だったよ。あんまり人を褒めるの好きじゃないけど、素直に認めてやるよ。けど、その後。双子の片割れが怪我で交代してから、お前のプレイ、変わったよな?」
すうっと翔を取り囲む空気が変わった。
誰もが気付いていながら、問いたださなかったその質問を。今更、蒸し返されるとは思わなかった。
その話題に触れることは、境中サッカー部の中ではタブーになっていた。翔がそうしたわけではないけれど、暗黙の了解のように皆が口を閉ざして触れずにきた。
「お前、あきらかに手ぇ抜いてるよな?」
挑戦的な瞳で鋭い言葉を投げつけてくる秋葉を、きつく睨んだまま口を噤んだ。
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