■ ■ ■ 「なんでもない日、おめでとう」
午後のやわらかな日差しを浴びながら、新一は大学内の図書館で提出期限の迫ったレポートを書いていた。
探偵業を続けながら大学に通っているから講義に出れないこともしばしばあるが、大学側の配慮で他の学生たちよりも二割増ほどのレポートを提出することで、足りない出席日数を補ってもらっていた。
自分の身勝手な要望ではあるが、理由が理由だけに大目に見てくている。
探偵としての仕事振りが認められているからではあるが、理解ある教授たちに恵まれているからこそだ。
昨晩遅くに事件を解決して、今日は朝から講義に出席することが出来た。午後は講義がなかったが、警視庁からの呼び出しもないし、一気にレポートを片付けようと図書館に篭もった。
ガラス一枚隔てて降り注ぐ陽光が少し眠気を誘う。同じように図書館に入り浸る学生の中には、惰眠をむさぼるものもいる。
確かに、このまま眠ってしまえるなら気持ちいいだろうな。
睡眠時間も充分とは言えない。このまま窓際の席にいれば、眠気に負けてしまいそうだ。
資料と取りに書架に向かい、あわせて影になった席を探す。空席を見つけてそこに本を置くと、元の席から荷物を移動させた。
資料を捲りながら、ノートにメモを取っていく。キーワードになる言葉を線で結びながら、レポートの構成を考えていく。
数冊の資料を読み終えたところで、参考資料に挙げられていたもう一冊の書籍を探しに席を立った。検索端末で著書名を入力するとヒットしない。著者名で確認したが、どうやら大学図書館には所蔵していないようだった。大きな図書館だとは言っても、出版される全ての書籍を網羅しているわけではない。
インターネットを使って、都内の区立図書館などの蔵書を検索できるサイトにアクセスした。
世の中、便利になったよなぁ・・・と、こういった時に感心する。
論文に属する書籍になるためか、公立図書館には置かれていないようだ。同じリンク集から都内の大学図書館の蔵書も調べたがヒットしない。どうやらかなりマニアックな本らしい。最後の望みを託して、国立国会図書館の蔵書を検索した。
あった。
国会図書館は資料の貸出は行っていない。館内で閲覧するか、有料での複写をするかとなる。レポートの参考資料として読んでおきたいだけだから、出向いて閲覧するとしよう。
さっそく荷物を纏めると、新一は大学の図書館を後にした。
父親の影響か、本に関しては労力や金銭を惜しまなかった。
地下鉄で永田町駅に出ると、国会議事堂を右手に見ながら図書館へと向かった。
閲覧室で資料を読む。レポートに関連する項目は十数ページだけだったが、ついつい他の章までも読みふけってしまい、閉館案内のアナウンスで我に返った。
しまった。つい、我を忘れてしまった。
慌てて、もう一度、メモした箇所を読み直しながら、先ほどのノートに今回の資料の内容も付け加えていった。
結局、作業を終えたのは閉館十分前。
資料を返却し外へ出ると、すでに日は暮れて暗闇になっていた。
さて。自宅に帰るときの乗り継ぎは・・・と、周辺の地図を頭に浮かべる。同時に周囲を見渡すと、通りの向こうに警視庁のビルが見えた。
あ、そうか。警視庁ってすぐそこだ。
まるで強力な吸引力があるかのように、ふらりと足がそちらに向かいそうになる。
いや、待てって。
呼び出しがあったわけでもないのに警視庁に出向くなんて、それこそ事件を待ち望んでいるとしか見えないじゃないか。人の不幸を喜んでいる。探偵なんてそんなものだと言われても仕方がないことはわかっている。だからこそ、頼まれもしないのにのこのこ出て行けないだろう。
自重しろよ、と自分に言い聞かせて、わざと背を向けて歩き出した。
来た道を戻って永田町駅へと向かう。
国会議事堂、最高裁判所をはじめとした国の重要機関が集まる場所だけに、周囲を歩いているのはスーツ姿の男ばかりだ。なんとなく眉間に皺がよっているように見えるのは、官僚という職業への偏見というものか。
駅に向かって歩いて行くと、目の前の建物の向こうに高層ビル群が見えていた。
外堀通りの向こうは赤坂になるのか。
結構、近いんだな。
赤坂、六本木、霞ヶ関、有楽町、丸の内、大手町。後ろにある皇居を囲むようにして林立する超高層ビル。少し前までは東京を象徴する高層ビル群といえば新宿副都心だったけれど、今はこの辺りのほうが日本を代表する超高層ビル群になってきた感じだ。
マンハッタンには負けるけどな。
そんなことを思いながら歩いていると、向こうから大学生くらいの女性二人組みが歩いてきた。
すれ違いざまに、彼女たちが持っている紙袋に目がいった。
見覚えがある。どこか有名店だっけ?
咎められない程度にじっと目を凝らし、袋に書かれた店名らしき英文を読み取った。
あ、蘭が好きだって言ってたケーキショップだ。一度だけ、二人で行ったことがある。あれは確か赤坂だった。
ケーキか・・・。
空腹だからだろうか。ケーキという言葉が、甘美な誘惑となって頭に響いた。
今の時間なら、蘭はまだ夕飯を食べずに待っているだろう。少し遅くなってしまうだろうけど、食後のデザートに買っていこうか。
いつもならば、そんなこと考えもしないのに、今日に限ってそんな気分になった。
方角を変えると、歩きながら蘭にメールを入れる。
今からケーキを買って、地下鉄と環状線を乗り継いで・・・。ざっと時間を計算して、帰宅予定時間を入力する。お土産を買っていくことは、もちろんナイショだ。
小さな悪巧みのようで、どこか心が騒ぐ。
自分の誕生日すら蘭に言われるまで忘れてしまうくせに。
なんでもない日にケーキなんて買っていったら、蘭はびっくりするだろうな。
驚いたときの真ん丸になった瞳を思い出して、くすりと笑みが零れる。
どんな顔をするだろうかと楽しみになって、自然と足取りが軽くなる。
A very merry unbirthday
To me
To who?
To me
Oh, you
昔、どこかで聞いた英語の歌を思い出した。
何の歌だっけ、これ。続きが思い出せない。
白い紙袋をぶら下げて電車に揺られながら、頭の中で同じフレーズばかり何度も繰り返す。
誕生日は1年に1度っきり
そうとも たったの1回さ
でもなんでもない日は365日
ってことは?
年がら年中お祭りだ! 万歳!
なんでもない日 万歳!
なんでもない日 万歳!
さあ ロウソク消したら願いが叶う
幸せやってくる
なんでもない日 おめでとう!
思い出した。
不思議の国のアリスだ。
小説は読んだことがないが、幼い頃に蘭がよく見ていたアニメーション映画の中で使われていた曲だ。
三月うさぎとキチガイ帽子屋のお茶会のシーンだ。
幼い頃は、ケーキを食べる日というのは誰かの誕生日か記念日に限られていた。だから、記念日でもない日にはこの曲を歌って、ケーキを食べることを正当化していた。
今ではケーキも特別なものではなくなって、蘭も食べたくなると買ってきたり自分で作ったりしている。
久しぶりにケーキを買った。
ショーウィンドウに並んだ色とりどりのケーキに、どれだったら蘭が喜ぶだろうと、あれこれ思い悩んだ。
店員に「お誕生日ですか?」と聞かれた。店内には男性客はカップルで来ている客以外にいなくて、余程の甘党に思われるのも照れくさくて、「そうです」なんて嘘までついた。
箱の中で動いてしまわないようにと、注意を払って袋を持っていた。混み合った車両をさけて、空いている車両へ移動までした。
どれもこれも、蘭の笑顔が見たいからだ。
人間って、単純なものだよな。大切な人の笑顔を思うだけで、こんなに幸せになれるんだから。
両親だったり、友人だったり、恋人だったり。
自分にとって大切な誰かを思えるということは、なんて幸せなんだろう。相手の幸せを願うだけで、自分も満ち足りた気持ちになれる。
誕生日を祝って。
誕生日じゃない日も祝って。
一年中、お祝いだらけ。
それもいいよな。それが、幸せってことだよな。
「ただいま」
明かりの灯った我が家に帰るということも、幸せだなと思える。
「おかえりー!」
ぱたぱたとスリッパの音を立てて、蘭が玄関にかけてきた。
「すごい。帰宅予定時間ぴったり!」
笑っていう蘭に、すいっと白い袋を差し出した。
一瞬、目をぱちくりさせて、きょとんとした顔をする。
「え? これ、フルールの袋じゃない!」
「ああ。近くまで行ったから、買ってきた」
「今日って、何か記念日だっけ?」
「いや、別に。食後のデザートにしようかなって」
思ったとおり、蘭は瞳を真ん丸にして喜んでいる。
そうそう。この顔。この笑顔が見たかったんだ。
袋の中を覗き込んで幸せに浸っている姿に、満足する。
「じゃ、着替えてくるな」
鞄を書斎の机の上に置くと、自室に向かう。
「あれ? もしかして・・・」
階段に足をかけたところで、まだ玄関ホールにいる蘭が首を傾げた。
「フルールって、赤坂だよね?」
「ああ。赤坂サカスだっけ? その近くだった」
「・・・新一、今日、大学行ってたんじゃなかったの? どうして赤坂にいたのよ」
さっきまでの笑顔は消えて、きっと睨むような顔になっている。
「まさか、事件だったとか言わないわよね・・・?」
「違うって」
そうくるとは思わなかった。
「レポートの資料を纏めてたんだけど、見たい資料が大学の図書館になくてさ。探したら国会図書館にあったから、そこまで行ってきたんだ」
少し焦って言い訳になる。
「国会図書館?」
「そ。別に警視庁に行ってたわけじゃねーよ」
「ふーん・・・」
「うわっ。お前、信じてねーだろ?」
「だって。新一がケーキ買ってくるなんて、今までなかったじゃない。何かやましいことがあるとしか思えない」
会社帰りに飲みに行ったのサラリーマンが、家族に寿司折りを買って帰るようなものか。
じーっと探るような瞳で見られて、たじたじになる。
確かに、あまり蘭を大切にしているとは言い切れない。約束をしていても、捜査依頼の電話がはいればそちらを優先してしまう。
嫌気がさして、見放されても仕方がない。
「・・・逆だよ」
「逆?」
「ん。今日は呼び出しもなくて、大学行って講義受けて、レポートまとめて・・・って、普通の大学生みたいに一日が終わったんだ。もちろん、オレに連絡がないってことは世の中幸せってことだろ? 幸せだなぁって思ったら、一日の最後に蘭とゆっくり過ごしたいなって」
物だけで心を動かそうなんて、ずるいよな。
気持ちは言葉にしないと伝わらない。
「蘭が待ってるよなって思ったら、喜ばせてやりたくなった」
心が形あるものだったなら、ほらって取り出して見せてやるのに。想いが全部伝わるように、ゆっくりと話す。
「・・・ありがとう」
照れて俯いた蘭を見ていると、思わずぎゅっと抱き締めたくなる。
手を伸ばしたところで、「だめっ!」っと蘭に拒否された。
「ケーキが崩れちゃうでしょ!」
うわっ。ケーキに負けたよ。
しょんぼりと背を向けると、「せっかくの新一の気持ちなのに」なんて、また嬉しいことを言ってくれる。
ああ、もう。
ケーキじゃなく、蘭を食べてやりたいくらいだ。
「今日は覚悟しとけよ!」
今は、頬にキスだけで許してやるよ。
不意をついてチュッと口付けて、振り上げられた手から逃れるように、階段を駆け上った。
夕食後。
蘭がコーヒーを淹れてケーキと一緒に運んでくる。
「どれがいいかわかんなかったから、季節限定のオススメにした」
「うん。どれも好き!」
満面の笑みを浮かべて、ケーキを口に運ぶ。
「美味しいっ!」と目を細めて、味わう。
一気に食べるともったいないなんて言って、少しずつ大事そうに食べる。
どの姿も、とても愛おしい。
なんでもない一日だけど。
それが、特別な一日。
ほら。三日月うさぎとキチガイ帽子屋も、お祝いしてくれるよ。
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