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2009.01.14 Wednesday

ちよだ

えーと。何話目だっけ?

とにかく。続き!
「36度9分。MTBは中止だな」
 救急箱代わりに薬を放り込んである缶の奥底に体温計が転がっていた。そういえば遠い昔に買ったような気がする。
 もう平気だと言い張る若宮に無理矢理体温測定をさせた。
 結果は微熱程度だが、せっかく下がった熱を再び上げる必要はないだろう。
 若宮は不満そうに頬を膨らませているが、無視しておかゆをテーブルに乗せた。
「普通に食べれるって」
「それしか作ってない。文句を言わずに食え」
 そう言う篠原自身が持っているお碗にもおかゆが入っている。炊飯器の「おかゆモード」で炊いたため、自分用に普通炊きのご飯はない。そこそこ料理は出来るが、毎日自炊するほどでもない。仕事柄、帰宅が遅くなることが多く、面倒になってコンビニ弁当で済ませてしまいがちだ。
 若宮がスプーンでおかゆを口へ運ぶのを見届けてから、篠原も食べ始めた。
 外は鮮やかに晴れ渡っていて、本来ならば絶好のアウトドア日和だっただろう。春先のこの時期は、動いて熱くなった体に、まだ冷気の残る風が心地いい。
 開け放ったカーテンの向こうに広がる青空に、若宮はまだ未練がましくぶつぶつと呟いていた。
「せっかくの休みなのに、アパートに篭もりっきりかよ」
「病人が何を言ってる」
「もう熱も下がったって」
「治りがけが肝心だろう」
 膨れっ面の若宮に、ぴしゃりと言い渡して黙らせる。
 篠原は一日中家の中にいても苦痛を感じることはない。会社が在宅での仕事環境と整えたとしたら、真っ先に名乗りを上げることだろう。結局はセキュリティや情報漏えいの観点から、なかなか在宅制度は進まない。遠くない未来、自宅にいながら様々なことが出来るようになれば、煩わしさはなくなるのにとすら思っていた。
 一方、若宮は本来、かなり外向的な性格だ。それなのに研究所という閉鎖空間に閉じ込められていることへの反動か、週末になると併設の寮に残ることはほとんどない。だったら、最初から営業職でもやれば良かったのにとは、何度か本人に言ったことがあるが、人間関係を煩わしく思っているのは、若宮も同じらしい。
 バリアを張って拒絶している篠原とは違って、それをおくびにも出さずに表面上を取り繕っているだけ若宮は柔軟な性格だと言えるのだろう。
「あ、1個、メール書かせて」
 食器を片付けていると、向こうからそう声が聞こえた。
「立ち上げて使え」
 パソコンには特にパスワードのロックもかけてない。この部屋に入る人間は自分以外には若宮だけで、若宮に見られて困るようなものは、この部屋の中にもパソコンの中にもない。
 若宮がパソコンを使うことは頻繁にあるから、ブラウザのブックマークに若宮フォルダが作成されているくらいだ。学生時代、二人でお金を出し合って中古のMacを買って共用していたころからの名残りだ。
 Webメールに若宮は自分のIDを使ってログインし、カタカタとキーボードを叩き始めた。
「食材ないから、スーパー行ってくるな」
 若宮が自分の作業をやっているうちにと思ったが、「ずるい!」と不満の声が返ってきた。
「ハル、自分だけ外出るつもり?」
「だから、病人は黙ってろ」
「買物ぐらい、オレだって行ける!」
「ガキのお使いかよ。大人しくしてろ」
「・・・一人残されたらヒマだから、パソコンでも分解して遊ぼうかなぁ」
 げっと振り返ると、若宮はしたり顔でこっちを見ている。
 工学部卒だけあって、機械類の分解や組み立てはお手の物ではあるが。ここでその切り札を使うということは、分解するだけして、組み立てるつもりはないのだ。もちろん、篠原のパソコンの組み立てくらいは出来るが、そんな面倒を被るよりも、若宮のワガママに折れるほうが容易い。
「・・・ぶり返しても知らないからな」
「へーき、へーき。誰かさんと違ってオレは頑丈に出来てるから」
 自虐的とも聞こえる台詞だ。若宮はもう着替えるために背を向けていて、表情が見えない。
 誰かさんというのは、多分、弟のことだろう。
 若宮には弟がいたそうだ。そう、過去形だ。篠原の住む街に越してきたときには、もう亡くなっていた。だから会ったことはないが、そのことで両親とも溝ができているのだということだけはわかった。
 本人が話したがらないことを無理に聞くつもりはない。
 人生は幸せ半分、不幸せ半分だという。だとしたら誰にだって辛い過去というものは存在する。傷をえぐるような真似は好きじゃない。言い換えれば、自分の傷もえぐって欲しくはない。
 若宮も篠原の過去について問いただそうとはしなかった。
 もしかしたら、上辺だけの薄っぺらい友情なのかもしれないが、今の距離感が二人の程よいバランスを保っている要因なのだろう。

 スーパーは少し離れていて、徒歩だと20分といったところだ。普段ならば、MTBで出掛けて袋を引っさげて帰ってくる。
 若宮のMTBもこのアパートの駐輪場に停めてあるから、揃ってMTBで行くこともできる。
 だが、今日は花冷えといった感じで、晴れてはいるが空気は冷たい。
 冬場は日中に太陽放射によって温められる温度よりも、夜間に地表面から放出される温度のほうが勝って放射冷却が起こる。
 春先と秋の終わりにいつも考えるが、一体、何度くらいで放射の関係は逆転するのだろう。
「天気いいし、歩いてく?」
 徒歩かMTBかと迷っていると先に若宮が言って、返事も待たずに歩き出した。
 やっぱり本調子じゃないのだろう。
 いつも弟と両親に遠慮をして、自分のことは隠し通すくせがついている。べったりと甘えられても困るが、無理を通す姿は度が過ぎると、見ていて痛い。
 とは言え、そのことを告げても素直になるような男でないこともわかっている。
 だから篠原は何も言わずに、若宮の後を追った。
「あ、ユキヤナギだ」
「あれって、沈丁花かな?」
「おー! 桜発見!」
 歩きながら若宮は家々の庭を覗いては、咲いている花に声を上げる。
「詳しいな」
「ほら、オレんちの庭、すごかっただろ? あれ、ばーさんの趣味だったんだけどさ。よく手伝わされたから覚えてしまったんだよなぁ」
 若宮の家には広い庭があって、しかも綺麗に手入れがされていた。実のなる木もあって、よじ登って実を食べては怒られたものだ。
「そのせいか、人んちの庭って気になるんだよね」
 ひょいっとジャンプして、塀から伸び出た桜の枝に触れる。
 自分のアパートの周辺だというのに、今までここに桜があるなんて気づきもしなかった。
 まだ数は少ないが、色とりどりの花がそれぞれの庭先を飾っている。花だけでなく、新興住宅地であるこの辺りは、外壁や屋根の色が実にカラフルだった。
 毎日、何となく通り過ぎていたときは、まるでモノクロの世界のように感じていた。
 自分の見方ひとつで、世界はこんなに変わるものなのか。
「ハルー! 折角だから、お花見してこーぜ!」
 若宮が指差す先には、鳥居が見えた。その向こうは木が生い茂っていて、その中にちらほらと薄紅色の木が見える。
 神社なんてあったんだ。
 境内は思ったよりも広く、近所の子供たちが遊んでいた。まるで、自分が生まれ育った田舎の街のようだ。東京にもまだこんな風景があったんだな。
 本当に、今まで自分は何を見てきたんだろう。
 MTBで一気に駆け抜けてしまった時間に、大事なことがあったんじゃないだろうか。
 昨日、相模が言った「季節を感じる写真」という言葉が頭に浮かんだ。
 学生のころは、試験だ夏休みだと、まだ季節を感じることはあった。だが、社会人になってからのこの一年間は、アパートと会社の往復だけで。仕事内容は夏だろうが冬だろうが、空調の効いた室内でキーボードを叩くだけで、変わり映えしないまま過ぎていった。

 昔、トレーニングのために走っていたときは、もっと多くのことを肌で感じ取りながら走っていたはずだ。
 草花の匂い。
 遠くから響く音。
 鳥や虫の鳴き声。
 頭上に広がる空。
 あの頃の空を思い出して、ふと顔を上げた。
 木々で切り取られた小さな空は、記憶の中にある空よりも淀んではいるけれど。こうやって、空を見上げたのも久しぶりだ。
 苦手だといって断ち切ってきたものが、本当は大事だったんじゃないかと後悔が生まれる。
 今からでも、遅くはないだろうか?
 変わろうとすること、自分を変えようとすることに、制限なんてないはずだ。

「シュウ、もう一箇所、付き合ってもらえるか?」
「んー? 何か買い忘れた?」
「・・・携帯、買い換えたいんだ」
 少しだけ照れながら篠原が告げると、舞い散る花びらの向こう側で、若宮が小さく笑った。

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