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2008.06.02 Monday

呪縛(4)

本文は以下。
 情報システム部には二十数名のスタッフがいる。
 その中で日勤と夜勤とを振り分けて二十四時間対応が可能な体制を整えている。女性社員は夜勤を拒否しても査定になどは響かないが、遥は率先して夜勤を希望していた。現在は一週間ごとに夜勤と日勤を交互に繰り返しているような状態だ。出来ることなら全部夜勤でも構わないのだが、さすがにそれは部長に渋られてしまった。
 夜の十一時。夜勤はまだ始まったばかり。
 あれから、なぜか社長室の担当は水木から遥になっていた。元々、水木でなければならないわけではなかったが、暗黙の了解のように秘書室から電話が入ると水木が呼ばれていたし、緊急の場合は直接、水木の携帯に電話が入る。誰も、水木本人でさえも異議を唱えなかったのに。
 それなのに。翌日、遥の携帯電話宛にあの専務から直接電話が入ってきた。
 社員の携帯電話は会社からの貸与になっている。社員間の通話が無料になるという携帯電話会社のサービスを利用していて、私用利用した分はその通話料が給与から天引きされる。
 私用の通話記録が会社に知れるため、会社貸与の携帯と私用の携帯をわけて使っている人も多いが、遥は気にするほど携帯電話を利用しているわけではないから、この一台しか持っていない。
 いつもの十一階の休憩室にいると、携帯電話が振るえた。
 また専務かと思ってげっそりとしながら携帯電話を取り出した。
 だが思いとは反して、住所録には登録していない番号らしくディスプレイには十一桁の番号がそのまま表示されている。誰だろう。
 仕事関係であれば電話を掛け合うような相手は登録してあるし、それ以外となるとあまり交友関係は広いほうではない。無闇に携帯番号を教えたりもしていない。そもそもコンパなどの場にはほとんど参加していないのだ。
 不審に思いつつも通話ボタンを押した。
「・・・はい」
 相手がわからないので名乗らずに電話に出た。
『遥?』
 違わずに名前を呼ばれてドキリとする。自分のことを知っている人間か。
『あれ? すみません。星野遥さんの携帯ですよね?』
 いつまでも返事をしなかったせいで間違えたかと思ったらしく、電話の相手はそう問いかけてきた。
 この声。聞き覚えがある。確か・・・。
『由衣です。松岡由衣』
「・・・由衣?」
『そう。遥だよね?』
「うん」
『突然、ごめんね。皐月さんから番号聞いたの』
「ああ、うん」
 由衣。そうか、由衣ね。何年ぶりだろう。すでに音信不通状態だったのに。今更、何だというのだろう。
『・・・あのね』
 誰かが結婚か、逆に不幸か。突然電話をかけてきた理由は、そんなところか。それ以外に、わざわざ遥になど連絡をとる必要性はないはずだ。
『同級会をやることになったの』
「同級会?」
『そう』
 それこそ、何でまた今頃だ。二十歳だとか三十歳だとか。そういう節目の年というならまだわからないでもないが、二十四歳などという中途半端な年に。
『実は、小学校が取り壊されることになったんだ』
 小学校・・・。
 ああ、それでか。
 遥が卒業した山間の小さな小学校は、木造建築でかなり老朽化していた。遥たちが卒業した時点で既にそうだったのだから、あれから十数年を経過した今はさぞかし古びただろう。
 そして、その小学校の歴史上、遥たちは最後の卒業生なのだ。
「・・・私、帰るつもりないから」
『でも・・・』
「理由は言わなくてもわかってると思うけど」
『だって、もう昔の話じゃない』
「そういう話なら、ごめん。今、夜勤の仕事中なんだ」
『あ、ごめんね。一応、メール送っておくから。気が向いたら、来て』
「・・・約束はできない」
『それでもいいから。とにかく、送っておく』
「・・・好きにして」
『好きにするよ。じゃ、仕事中にごめんね』
 かかってきたときと同じく、プツッと通話が切れた。辺りが一瞬で静寂に包まれる。
 もう忘れたつもりだったのに。
 覆いかぶさってくる闇が私を捕らえて離さない。
 時々、この感覚に襲われる。
 子供の頃からすぐ隣にあった暗闇は恐怖の対象ではなかったはずなのに、光も音も消えた世界にいると、まるでこの宇宙に存在するのが自分一人だけなのかもしれないという気がしてしまう。
 私が恐れているのは、闇ではなく、多分、孤独だ。
 迫りくる闇に押し潰されるように体を小さく丸める。そうやって闇をやり過ごす。声もあげず、身動きもせず、意思を持った闇に自分の存在を気づかれないように―――。
「夜なんか、来なきゃいいのに」
 恐いわけじゃない。
 眠りに落ちるとき、もう二度と寝覚めないかもしれないと思う。私はこのまま闇に飲まれ、この世から姿を消すのかもしれない。
 そう思うと、なかなか眠りにつくことができなかった。寝つきが悪く、更に眠りが浅い。
 眠れないなら起きてればいいのよ、と夜勤ばかり引き受けるようになった。
 外が明るい時間帯ならば、少しは眠りにつくことができる。

「電話が繋がらないと思ったら、こんなところでサボってたのか」
 闇の中から降ってきた声に遥はビクリと体が竦ませた。
 振り向くと、そこにはもう馴染みになった専務・柚澤光征が立っていた。
 いつからいたのだろう。電話を聞かれただろうか。
「何か、トラブルですか?」
 平静を装い問いかけたが、自分でも声が微かに震えているのがわかる。この人には弱味を見せたくない。精々虚勢を張るように、座っていた椅子からも立ち上がる。
「トラブルではないが、頼みたいことがあって探してた」
「すみません。すぐにそちらに」
 休憩室の出入口を塞ぐように立っている専務の下へと歩み寄る。だが、光征はじっとこちらを見下ろしたまま動こうとしない。遠くにある非常灯の明かりが、申し訳程度に顔の輪郭を浮かび上がらせている。見上げた顔は無表情で何の感情も読み取れない。桧村と話しているときのおどけた様子も、仕事に集中しているときの真剣な様子も、どちらもない。
「あ、あの?」
 そこに立っていられては、出るに出れないのだけれど。
 そんな思いをこめて見上げると、彼の視線は遥のほうを向いてはいなかった。見ているものの背筋まで凍らせるような冷たい視線は、遥を通り越して窓の外に向けられていた。
「・・・専務?」
「お前・・・」
 何か言おうとして光征は口篭った。
 ハッと口に手を当てて、我に返ったような。目の前にいる遥にも、今やっと気づいたかのような。
「・・・こんな場所、あったんだな」
 するりと遥の横を通り抜けて窓際まで歩み寄り、窓の外に広がる夜景を見下ろしている。
 ここはそんなに広い場所じゃない。

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