■ ■ ■ 呪縛(本文・第2章)
空が、広い。
私は山間の無人駅に呆然と立ち尽くしていた。
田園風景の真ん中にぽつんと建つ木造の駅舎。背後には三千メートル級の日本アルプスがそびえる。一年で一番暑い季節だというのに、白い雪渓が数箇所見える。
都会のビル群を見慣れた自分にはまるで十年前にでもタイムスリップしたような感覚に襲われる。
見上げた青空には遮るものがない。ぽっかりと浮かんだ雲は穢れを知らぬ真綿のように純白だ。
―――帰ってきてしまった。
二度と帰るつもりはなかったのに。
ペンキの剥げたベンチに座り目を閉じると、胸に込み上げてくる黒い感情をぐっと抑えた。
そよぐ風は高原独特の涼気を含んでいて肌に心地良い。近くに小川があるのだろうか。静かにせせらぎが聞こえてくる。
遠くの蝉の声が、僅かに今は夏真っ盛りなのだと主張している。
懐かしい。そして、忌々しい。
忘れ去りたくても捨て切れなかった、私の生まれ故郷だ。
クラクションの音に顔を上げると、目の前に停まった軽四の窓に手を振る幼馴染の姿があった。
「ごめん、遅くなって」
分刻みの山手線なんかは五分の遅れも許されないのに。ここでは、時間さえものんびりと流れているような気がする。大きな荷物を見せると、頷いてトランクを開けてくれた。荷物を中に押し込んでから、自分の体も助手席に押し込んだ。
「でも、びっくりした」
私が乗ってからも、彼女はしばらくこちらをじっと見たまま、車を出そうとしない。
「本当に帰ってくるとは思わなかった」
「ああ、うん・・・」
私は曖昧に頷いた。
帰ってきてと連絡を受けたときは、こっぴどく断ったのだから無理もない。
「じゃあ、出すね」
「・・・ごめんね、由衣」
「気にしないで。無理言ったんだから、これくらいお安い御用だって」
運転しながら、由衣は息つく間もなく喋り続けた。話題は、私がここを離れてからの他の幼馴染たちの動向だった。
今日、私がこの駅に降り立ったのは、この幼馴染たちと会うためだった。
でも、それは言い訳に過ぎない。
つまるところ、私は逃げてきたのだ。息の詰まる都会の生活から。
車は田畑を両断して伸びる道路をひた走る。幹線道路を一本横切り、山に向かって進む。
「お盆前なのに、よく休みが取れたね」
「大きなプロジェクトが一段落したから。ご褒美代わりに休暇がもらえたの」
「うわー。プロジェクトだって。凄いなぁ」
「由衣は美容師資格、取れたの?」
「まあね。今はあの店、手伝ってるよ」
「私からみたら、由衣みたいに手に職があるほうが凄くみえるけどね」
「そんなもんかなぁ」
お互いに無いものねだりなのだ。
プロジェクトと偉そうに言っても、私が主となってやったわけではない。入社二年目の私ができることなど少ない。大きなプロジェクトの一部を任されて完成させたに過ぎない。そんなだから、自らの手で最初から最後までやってのける人を羨望の眼差しで見てしまう。
「あ、でも。本当にあの部屋に泊まるので良かった?」
「ホテルがあるわけじゃないし。夏だから毛布一枚あれば平気よ」
「相変わらず男前なこと言うわねぇ」
男前か。似たような台詞は何度も言われた。男勝り、お転婆、じゃじゃ馬。物心ついたころから、この大自然の中を男も女もなく駆け回ってきたのだから、仕方がない。元来の負けず嫌いな性格が、女らしさなど消し去っていた。
「全員揃うのって、初めてだなぁ」
「よく集まってるの?」
「よく・・・ってほどじゃないけど。お正月とお盆は声かけてる。遥だけ連絡先がわからなかったから・・・。皐月さんも教えてくれなかったし」
「私が頼んだの」
彼女の方を見ないまま、答えた。
「・・・帰るつもり、なかったから」
「そっか」
由衣は知っている。
私がここを出た理由も、私がここを嫌う理由も。それ以上は問い詰めてはこなかったのは、だからだろう。
私は山間の無人駅に呆然と立ち尽くしていた。
田園風景の真ん中にぽつんと建つ木造の駅舎。背後には三千メートル級の日本アルプスがそびえる。一年で一番暑い季節だというのに、白い雪渓が数箇所見える。
都会のビル群を見慣れた自分にはまるで十年前にでもタイムスリップしたような感覚に襲われる。
見上げた青空には遮るものがない。ぽっかりと浮かんだ雲は穢れを知らぬ真綿のように純白だ。
―――帰ってきてしまった。
二度と帰るつもりはなかったのに。
ペンキの剥げたベンチに座り目を閉じると、胸に込み上げてくる黒い感情をぐっと抑えた。
そよぐ風は高原独特の涼気を含んでいて肌に心地良い。近くに小川があるのだろうか。静かにせせらぎが聞こえてくる。
遠くの蝉の声が、僅かに今は夏真っ盛りなのだと主張している。
懐かしい。そして、忌々しい。
忘れ去りたくても捨て切れなかった、私の生まれ故郷だ。
クラクションの音に顔を上げると、目の前に停まった軽四の窓に手を振る幼馴染の姿があった。
「ごめん、遅くなって」
分刻みの山手線なんかは五分の遅れも許されないのに。ここでは、時間さえものんびりと流れているような気がする。大きな荷物を見せると、頷いてトランクを開けてくれた。荷物を中に押し込んでから、自分の体も助手席に押し込んだ。
「でも、びっくりした」
私が乗ってからも、彼女はしばらくこちらをじっと見たまま、車を出そうとしない。
「本当に帰ってくるとは思わなかった」
「ああ、うん・・・」
私は曖昧に頷いた。
帰ってきてと連絡を受けたときは、こっぴどく断ったのだから無理もない。
「じゃあ、出すね」
「・・・ごめんね、由衣」
「気にしないで。無理言ったんだから、これくらいお安い御用だって」
運転しながら、由衣は息つく間もなく喋り続けた。話題は、私がここを離れてからの他の幼馴染たちの動向だった。
今日、私がこの駅に降り立ったのは、この幼馴染たちと会うためだった。
でも、それは言い訳に過ぎない。
つまるところ、私は逃げてきたのだ。息の詰まる都会の生活から。
車は田畑を両断して伸びる道路をひた走る。幹線道路を一本横切り、山に向かって進む。
「お盆前なのに、よく休みが取れたね」
「大きなプロジェクトが一段落したから。ご褒美代わりに休暇がもらえたの」
「うわー。プロジェクトだって。凄いなぁ」
「由衣は美容師資格、取れたの?」
「まあね。今はあの店、手伝ってるよ」
「私からみたら、由衣みたいに手に職があるほうが凄くみえるけどね」
「そんなもんかなぁ」
お互いに無いものねだりなのだ。
プロジェクトと偉そうに言っても、私が主となってやったわけではない。入社二年目の私ができることなど少ない。大きなプロジェクトの一部を任されて完成させたに過ぎない。そんなだから、自らの手で最初から最後までやってのける人を羨望の眼差しで見てしまう。
「あ、でも。本当にあの部屋に泊まるので良かった?」
「ホテルがあるわけじゃないし。夏だから毛布一枚あれば平気よ」
「相変わらず男前なこと言うわねぇ」
男前か。似たような台詞は何度も言われた。男勝り、お転婆、じゃじゃ馬。物心ついたころから、この大自然の中を男も女もなく駆け回ってきたのだから、仕方がない。元来の負けず嫌いな性格が、女らしさなど消し去っていた。
「全員揃うのって、初めてだなぁ」
「よく集まってるの?」
「よく・・・ってほどじゃないけど。お正月とお盆は声かけてる。遥だけ連絡先がわからなかったから・・・。皐月さんも教えてくれなかったし」
「私が頼んだの」
彼女の方を見ないまま、答えた。
「・・・帰るつもり、なかったから」
「そっか」
由衣は知っている。
私がここを出た理由も、私がここを嫌う理由も。それ以上は問い詰めてはこなかったのは、だからだろう。
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