■ ■ ■ あるブログより
もしぼくが
自分自身を本当に見ようとするのなら、
自分自身を直視せねばならぬだろう。
己が何を求めているか、
何が自身の中で起っているかを知るだけでなく、
どれほど真に視る能力をぼくが備えているかを
自ら知ることになるだろう。
************************
感覚を失って
ただ考えるだけの苦悩には
意味がない。
~エゴン・シーレ〜
先刻の宣言どおり、本日の真夜中12:00を持ちましてココを閉めようと思います。
(と、思いましたがご挨拶がおしてまして、一時間くらいおしちゃうかも・・・)
この更新が、最後の記事で私からの最後の言葉となります。
あ、そこの方、しんみりしないで〜。事切れるワケでナイし〜(笑)
でも。意識の消失、それもある意味、死と同等の意味合いが持つのかもしれませんね。
ただ。現実の世界、私はかな〜りたくまし〜く生きていますから、間違いなく。
回想をとりとめもなく、好きに言葉を走らせます。
**************************
6歳の頃のことです。
学校の休み時間、絵が得意だった私はよくクラスメイトにせがまれ、囲まれていました。
なんだか誇らしい反面、こんな事も思っていました。
この右手がなくなったら、私の周りには誰もいなくなるだろう。
彼女たちは私が好きで近くに来ているのではない、
好きな絵を描いて欲しくて寄ってきている。そんな風に見えていました。
実際そうだったようです。拒否していたら人がキレイにいなくなりました。
**************************
対峙する事象、現象と本質、内と外、建前と本音、主観と客観、そしてあなたと私。
同時に二つ見るクオリア。生まれつきとは言え、あんまし生きやすいものではありませぬ。
見てはいけないものを見、聞いてはいけない本音をきいてしまう悲しい体質そしてサガ。
幼い頃からそういう傾向、知識の盾、身の守りを持たない頃は地獄だった。
受け止めきれない心。解離し、現と空想を行き来したり、はたまた逃避し、
危ういバランスでかろうじて生きてる、そんな時も。だけどそれも、遠い遠い昔の思い出話。
私はきっと、その昔願ったよりも、ずっと強くなれた気がします。
**************************
真ん中。に存在すると、より自分らしく、在れる。
ブログを通し、いくつもの言葉を紡ぎ交わした会話の中で発見したことの一つ。
だから、両極が見えちゃうし聞こえちゃうのか。ようやく認識した自分のスペック。
なるほど納得。むしろ片方だけはいけない。15日生まれの宿命とも言うか。
偶然か必然か分からない邂逅の中、関わり、言葉をくれた全ての人に感謝でいっぱい。
**************************
渡辺淳一が面白いことゆってた。
女より男の方が精神的に揺れやすい、ひ弱な生き物で、いざとなると腰が引ける。
雄々しさと言うけれど、男は芯が弱いから、神様は外見だけを強く造ったんじゃないかな。
逆に女は芯が強いから、外見を優しくした。
毎日ニュースで流れる「強」のつく犯罪の多さに皮肉を感じる。
そんなカッコ悪いことでしか、強くなれなかった弱さに。
**************************
現実。自分の限界。内包する心の闇。
直視出来ず、目をそらして大体の人は日々を過ごしている。
知りたい。それも人に組み込まれた本能の一つ。でも知ることの恐怖も常に隣合わせに存在する。
一体自分は、何に怯えているのだろう。
それを知ったら、自分は一体どう変わるのだろう。どう変わると、思い込んでいるのだろう。
己の内にある真っ黒い闇と、近所で起きた犯人が捕まっていない通り魔事件。
直視するのがより怖いのはどっちだろう。
**************************
苦痛を伴うほどの感情にのた打ち回る果てに人は願う。
何も感じなくなってしまえ。そしてそれは。
可能なこと。頭脳を動かしたまま、痛む心を断ち切る。
ようやく痛みがなく平穏な日々を得た。
けれど、同時に失ってもいるんだろう。何かを。
安全圏にいるまま、紡ぎだされる幾億の思考には心が宿らない。
感ずる事を放棄すれば、生きることに意味を見失う。
ならばせめて。
痛みに耐えよう。耐えられる自分になろう。
信じたい。
今日の私には出来なくとも、
明日の自分、一ヶ月の自分、一年後の自分、この先に出逢う別の自分たちを。
全てを。
目に映る全てを直視して、痛みながら、生きていたい。
自分自身を本当に見ようとするのなら、
自分自身を直視せねばならぬだろう。
己が何を求めているか、
何が自身の中で起っているかを知るだけでなく、
どれほど真に視る能力をぼくが備えているかを
自ら知ることになるだろう。
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感覚を失って
ただ考えるだけの苦悩には
意味がない。
~エゴン・シーレ〜
先刻の宣言どおり、本日の真夜中12:00を持ちましてココを閉めようと思います。
(と、思いましたがご挨拶がおしてまして、一時間くらいおしちゃうかも・・・)
この更新が、最後の記事で私からの最後の言葉となります。
あ、そこの方、しんみりしないで〜。事切れるワケでナイし〜(笑)
でも。意識の消失、それもある意味、死と同等の意味合いが持つのかもしれませんね。
ただ。現実の世界、私はかな〜りたくまし〜く生きていますから、間違いなく。
回想をとりとめもなく、好きに言葉を走らせます。
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6歳の頃のことです。
学校の休み時間、絵が得意だった私はよくクラスメイトにせがまれ、囲まれていました。
なんだか誇らしい反面、こんな事も思っていました。
この右手がなくなったら、私の周りには誰もいなくなるだろう。
彼女たちは私が好きで近くに来ているのではない、
好きな絵を描いて欲しくて寄ってきている。そんな風に見えていました。
実際そうだったようです。拒否していたら人がキレイにいなくなりました。
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対峙する事象、現象と本質、内と外、建前と本音、主観と客観、そしてあなたと私。
同時に二つ見るクオリア。生まれつきとは言え、あんまし生きやすいものではありませぬ。
見てはいけないものを見、聞いてはいけない本音をきいてしまう悲しい体質そしてサガ。
幼い頃からそういう傾向、知識の盾、身の守りを持たない頃は地獄だった。
受け止めきれない心。解離し、現と空想を行き来したり、はたまた逃避し、
危ういバランスでかろうじて生きてる、そんな時も。だけどそれも、遠い遠い昔の思い出話。
私はきっと、その昔願ったよりも、ずっと強くなれた気がします。
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真ん中。に存在すると、より自分らしく、在れる。
ブログを通し、いくつもの言葉を紡ぎ交わした会話の中で発見したことの一つ。
だから、両極が見えちゃうし聞こえちゃうのか。ようやく認識した自分のスペック。
なるほど納得。むしろ片方だけはいけない。15日生まれの宿命とも言うか。
偶然か必然か分からない邂逅の中、関わり、言葉をくれた全ての人に感謝でいっぱい。
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渡辺淳一が面白いことゆってた。
女より男の方が精神的に揺れやすい、ひ弱な生き物で、いざとなると腰が引ける。
雄々しさと言うけれど、男は芯が弱いから、神様は外見だけを強く造ったんじゃないかな。
逆に女は芯が強いから、外見を優しくした。
毎日ニュースで流れる「強」のつく犯罪の多さに皮肉を感じる。
そんなカッコ悪いことでしか、強くなれなかった弱さに。
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現実。自分の限界。内包する心の闇。
直視出来ず、目をそらして大体の人は日々を過ごしている。
知りたい。それも人に組み込まれた本能の一つ。でも知ることの恐怖も常に隣合わせに存在する。
一体自分は、何に怯えているのだろう。
それを知ったら、自分は一体どう変わるのだろう。どう変わると、思い込んでいるのだろう。
己の内にある真っ黒い闇と、近所で起きた犯人が捕まっていない通り魔事件。
直視するのがより怖いのはどっちだろう。
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苦痛を伴うほどの感情にのた打ち回る果てに人は願う。
何も感じなくなってしまえ。そしてそれは。
可能なこと。頭脳を動かしたまま、痛む心を断ち切る。
ようやく痛みがなく平穏な日々を得た。
けれど、同時に失ってもいるんだろう。何かを。
安全圏にいるまま、紡ぎだされる幾億の思考には心が宿らない。
感ずる事を放棄すれば、生きることに意味を見失う。
ならばせめて。
痛みに耐えよう。耐えられる自分になろう。
信じたい。
今日の私には出来なくとも、
明日の自分、一ヶ月の自分、一年後の自分、この先に出逢う別の自分たちを。
全てを。
目に映る全てを直視して、痛みながら、生きていたい。
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