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2007.01.18 Thursday

ファジー

ファジーなタイムマシンファジーなタイムマシン
二間瀬さんとタイムマシンの話をしていて、興味ある着想をえた。ふつうは「タイムマシンはできるのかできないのか」といった議論がなされる。つまりイチかバチか、オール・オア・ナッシングの議論である。前回に述べた、ワームホールを利用するタイムマシンであれ、次回に述べるコズミック・ストリングを用いたタイムマシンであれ、そのようなものである。もしタイムマシンができるとすれば、電子1個を時間旅行させることも、コインを時間旅行させることも、あるいは人間を時間旅行させることも同様に可能であるというように、同じレベルで考えられている。また1秒過去にもどることも、1年過去にもどることも、ほとんど同じレベルで考えられている。はたしてそうであろうか。電子1個なら簡単に時間旅行できるが、人間は無理であるとか、1秒過去にもどることは容易だが、1年なら難しいといったファジーなものなのではないだろうか。そのようなタイムマシンの話をしよう。

 本連載の第1回目の話で、電子のような素粒子を時間旅行させることは原理的には簡単であるという話をした。忘れた人のために、その話の要点を繰り返しておこう。あらゆる素粒子には、反粒子というものが存在すること(電子に対しては陽電子、陽子にたいして反陽子)、粒子が未来から過去に旅行することは、反粒子が過去から未来に旅行するのと同等であるということが基本である。粒子がAという時点からBという時点まで過去にもどり、そこから普通の時間の流れにのるという現象は、図1のような時空図で表される。この現象は別の見方では、B点で粒子と反粒子を対発生で作り、A点で別の粒子と対消滅させると解釈することもできる。だからタイムマシンを作るには、B点にエネルギーを集中して粒子・反粒子対をつくり、A点でエネルギーを開放すればよい。単なる素粒子1個を時間旅行させるだけではおもしろくない。そこでコインを時間旅行させようとすれば、B点でコインと反コインを作り、A点で反コインと別のコインを対消滅させればよい。これが話の要点であった。
 ここまでの話は現代物理学とまったく矛盾しない。しかしながら、コインを時間旅行させてもおもしろくないであろう。人間が時間旅行できるかどうかが問題なのである。そのためには、人間と反人間を無から対発生させなければならない。とはいえ原子や反原子を集めて人間と反人間をつくるというようなことはできそうにもない。しかし人間は無理であっても、コンピュータと反コンピュータなら、それほど無理はないであろう。現在は無理でも21世紀の技術なら可能であるかもしれない。コンピュータは記憶をもっているので、人間の代わりをさせることも可能であろう。コンピュータの記憶は時間とともに増加するとする。このことは人間がさまざまな経験を記憶することと同等であると考えるのである。さらに進んだコンピュータを搭載したロボットを時間旅行させることができれば、話としては十分であろう。
 A点におけるコンピュータはa点におけるコンピュータより時間的に後にあるので、より多くの情報、知識をもっているはずである。B点でコンピュータと反コンピュータの対をつくるさいに、a点におけるコンピュータとおなじもの、とくにa点のコンピュータが蓄えている情報と同じ情報を持つコンピュータと反コンピュータを作ったとしよう。その場合、コンピュータがA点からB点に時間旅行する途中で、情報を失った、つまり記憶を失ったと解釈することができる。しかし、それではコンピュータにとっては、時間旅行をしたという実感はないはずである。つまりA点からB点に進むにしたがってコンピュータの心理時間は逆流したと解釈できるからである。タイムマシンが意味があるのは、B点の時刻がA点より以前であるにもかかわらず、タイムマシンに乗っている人間ないしはコンピュータの心理にとっては、後の時刻でなければならない。つまりA点からB点への時間旅行における心理時間と、タイムマシン以外の世界の物理時間は逆向きになっていなければならない。
 それではどうすれば、ふつうの意味でのタイムマシンをつくることができるだろうか。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でもそうであるが、ふつうA点からB点への時間旅行にようする時間は短い。もし100年前の時代に戻るのに100年もかかるようでは、過去に戻る前に死んでしまう。そんなタイムマシンはあまり実用的ではない。そこで、ここでは一瞬に過去に戻るようなタイムマシンを考えよう。そのためにはB点で作るロボットと反ロボット、さらにはそのロボットに搭載するコンピュータと反コンピュータの状態をA点での状態と同じにする必要がある。ところがB点はA点より過去であるから、未来のA点での情報など分かるはずはないと思うかもしれない。
 しかし、そうでもない。われわれは日常生活において、つねに未来予測は行っている。天気予報もそうであるし、株価の予測もそうである。今日の夕方、河原町の阪急の前で会いましょうと友人と約束したとすれば、まずほぼ確実に私は今日の夕方にはそこにいるであろう。もっと短い未来であれば、予測はさらに確実になる。階段を下りている時に、次の一歩がどうなるかはほとんど確実に予測がつく。しかし目をつむったり、暗闇の中で階段を下りたりすると、未来の予測がつきにくいので、われわれには極めて不安になる。逆にいえば、未来予測があるからこそ、われわれは階段を安心して下りられるのである。つまり未来の予測とは絶対に不可能なのではなく、程度問題である。つまり短い未来の予測は簡単にできるし確実であるが、遠い将来の予測は困難だし不確実である。
 したがって、A点とB点がそれほど時間的に隔たっていないならば、B点でA点のコンピュータの内部状態を予測して、そのようなコンピュータ対を作ることは難しいことではない。しかしA点とB点が時間的に離れていると、B点での予測とA点での実際は、かなり異なる可能性がある。その場合は、コンピュータがA点から時間旅行してB点にたどりついたと解釈すると、時間旅行中にコンピュータの記憶が狂ったと解釈するのである。つまり時間旅行には記憶の喪失とか、記憶違いが生じるといった、ある種の危険がともなうのである。記憶だけではない。a点とA点のロボットの腕は2本だが、B点で作ったロボット対には腕が1本しかないとすれば、それは時間旅行の時に腕が吹っ飛んだ、あるいはA点に腕をおきわすれたと解釈するのである。
 ここで述べた時間旅行には、タイムパラドックスは一切存在しない。現時点で考えられるもっとも矛盾のない完全な時間旅行の実現法なのである。しかしながら、B点で未来予測をするのであれば、タイムマシンを作る意味がないと思われるかもしれない。正にそうである。タイムマシンの最も有用な使い方は、未来の情報を用いて株を買ったり、カケに勝ったりすることであろう。するとここで述べた大袈裟な装置を使うよりは、競馬新聞を買ったほうがましである。しかし私が述べたかったことは、現代物理学に対して矛盾のないタイムマシンが原理的には作れるということ、小さいものを時間旅行させるのは容易だが、大きいものは困難であること、近い過去に戻るのは容易だが、遠い過去は難しいこと。つまり、タイムマシンはファジーな論理に従うことを主張したかったのである。

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