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2008.03.13 Thursday

月の呪縛001

 子供は、親を選んで生まれてくることはできない。生まれる場所も、時代も、環境も。子供には選択権はない。
 だが、その子の運命は、生れ落ちた瞬間に決まっている。


     1.

 地上に散りばめられた人口の宝石を見下ろす高層ビルの十五階。窓の外を見下ろして、星野遥はコーヒーを飲んでいた。これから、長い夜が始まる。
「星野君、じゃあ、後よろしく」
「あ、課長。お疲れさまでした」
 声をかけてきた安藤課長に立ち上がって一礼する。他にも数人の社員が安藤と前後して部屋を出て行った。
 ドアが閉まると静寂が襲ってくる。パソコンのモーター音すら、大きな音に聞こえる。月に一・二度、当番制で回ってくる宿直当番だ。システム開発を担当する部署では徹夜組みも出たりしているようだが、保守管理を担当する遥の部署は、よほどのトラブルがない限りは定刻の勤務時間外は、サーバ室の監視のために泊まりこみの宿直以外はぞろぞろと帰っていく。
 不要になった蛍光灯を消して、自分のデスクにあるスタンドだけを灯した。広い部屋の中で、遥のデスクだけがぼんやりと白く浮かび上がった。
 砂糖もミルクも入れないブラックコーヒーをぐっと飲み干してから、さあとパソコンに向かう。遥は宿直が嫌いではなかった。元々、夜更かしは得意であるし、誰にも何にも邪魔されずに、溜まった仕事を片付けることができる時間は必要だ。
 保守管理と言えば聞こえはいいが、要するに何でも屋だ。パソコンが動かない、メールが送れない、ファイルが開かない。コールセンターにかかってくる電話は、時には茶飲み話にまで及んでいて、この会社にもそんな暇人がいるのかと呆れてしまう。今のご時世、パソコンとネットがないと仕事もままならない。自分がトラブルを発生させたというのに、まるでこちらがトラブルを起こしたかのように文句をいうオヤジという人種を「申し訳ございません」と、感情の籠もらない謝罪の言葉で黙らせることなど、もうお手の物だ。コールセンターの電話は定時を過ぎると時間外の応対メッセージに変わる。時々、個人的に内線を鳴らす人もいるけれど、時間外を理由に明日へと回す。
 何の音も聞こえなくなると、ふと心に幼少時代を過ごした深閑とした森が蘇える。
 もう忘れたつもりだったのに、覆いかぶさってくる闇が遥を捕らえて離さない。
 バッグの中で携帯が震えた。
 私用の携帯は普段は音を消して、バイブレーターが動作するようにしている。今は宿直で誰もいないし気にすることはない。バッグから携帯と取り出して画面を開いた。
 送信者の欄にはそれがアドレス帳に登録されていないことを示す、メールアドレスがそのまま表示されていた。
 迷惑メールや広告メールといった類だろうか。
 訝しげながら先を見ると、件名に『由衣です』と、これまた出会い系のスパムと見紛う内容だ。
 だが、遥にはその名前に記憶があった。まさか、ね。由衣が自分の携帯アドレスなど知っているはずがない。音信普通になって何年も経つ。
 でも、と、僅かに残る可能性を認めて、本文を開いた。
『遥、久しぶり! 突然、ごめんね。アドレスは香里さんから聞きました』
 うわあ、やっぱり、あの由衣なのか。それより、香里伯母さんも軽々しく個人情報を漏らしてくれる。まぁ、あそこじゃしかたないか。近隣の家は全部、『他人』じゃないのだから。
『忙しいかな?と思ってメールにしたんだけど。実は、来月、私達の学校がついに取り壊されることになったったんです。みんなで異議を唱えてみたけどダメでした。だから、せめて最後に、あそこで集まってお別れをしようよって話になったの。
遥もお仕事大変だと思うけど、一度、帰ってこれないかな? みんなで集まれるなんて、多分、最後だと思うし・・・。ね、お願い!』
 へぇ・・・。あの学校がねぇ・・・。
 遥は、その昔、自分が通った小学校の校舎を思い出した。
 二階建ての木造校舎は、歩くたびにぎしぎしと床が鳴った。雨漏りこそしなかったが、隙間風が入り込んだり、冬には校舎の中に雪が積もっていたこともあった。冷房といえば、開け放った窓にそよぐ山風で、暖房といえば、教室の真ん中に鎮座するダルマストーブだった。
 山合いの小さな小学校。

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