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2008.01.24 Thursday

「海よりも、空よりも」 001

「うわー、女の子がいるー!」
 九時の当直交替の時間にあわせて、海上保安庁羽田特殊救難基地に数名の隊員が駆け込んできた。
 事務室内の椅子にちょこんと座る女性を見つけて、口々に声を上げる。特殊救難隊は全員が男という所帯で、若い女性が来るような場所ではない。隣接する羽田航空基地には数名の女性がいるが、彼女たちとてこの建物にはほとんど足を踏み入れない。
 珍獣でも見るような好奇の視線にさらされて、彼女・夏堀深空は小さな体を更に縮こませた。
「こら、驚かせてどうする」
 たしなめたのは、昨晩から当直で基地に詰めていた特殊救難隊第三隊隊長の片桐仁だった。
「あ、片桐隊長、おはようございます!」
 軍隊式にきっちり四十五度で頭を下げる。
「おはよう。説明は後だ。早く着替えてこい」
「はいっ」
 歯切れよく返事をして、入ってきた隊員は奥の部屋へと消えていった。
「悪いね。若い女の子が珍しくて」
「いえ」
「基地長ももうすぐ来ると思うんだけど・・・」
「速水はあてにならんからなー」
 揶揄するように声をかけたのは、深空と並んで椅子に座ってお茶を飲んでいた前橋だった。前橋は羽田航空基地所属のベテラン航空整備士で、深空の指導係だった。
「重役出勤やなぁ。さすが基地長ともなると、違うのぉ」
「前橋さん、お手柔らかに」
 片桐が苦笑しながら前橋の牽制をかわした。
 隊長さんなんだ・・・。
 深空は目の前にいる片桐を見上げた。特殊救難隊が海上保安庁内のレスキューにおける精鋭だという話は前橋から聞いている。六人ずつ六隊にわかれているということだったから、隊長は六人か。気さくにお茶を淹れてくれたが、本当はすごい人なのかもしれない。レスキュー隊と言われて、ムキムキなボディビルダーの集団を想像していたのだが、片桐はかなりの細身だ。もちろん、Tシャツから覗いている腕には鍛えられた筋肉が見えている。
 そうこうするうちに、ようやく基地長の速水が入ってきて、前橋と深空は基地長室へと場所を変えた。
 自己紹介と互いの挨拶を終えると、深空は用なしになってしまう。前橋と速水は何か深刻な話題をしたいらしく、「事務室で待っていてくれ」と言われてしまった。あそこに一人で行くのか。集まっていた隊員たちを思い浮かべて、ふうっと息をつく。だが、出ろと言われたのだから、いつまでも基地長室にいるわけにもいかない。
「失礼しました」
 頭を下げてドアから出ると、もうそこは隊員が集まっている事務室で、振り返った深空を全員が注視していた。
 ここは挨拶をしておくほうがいいのかな?
 深空は今度は事務室内に向かって頭を下げた。
「羽田航空基地に配属となりました、夏堀と申します。以後、よろしくお願いします」
 おおおーっとどよめきが走る。
「なっちゃんかー」
「よろしくー!」
 ちょっと。もう、なっちゃん呼ばわりですか?
 顔を上げると、こちらを見ている隊員は案外、若い人が多い。体力勝負のレスキュー隊ならば、若さか。オレンジ色のレンジャー服を着ている中には、少し年のいったのもいる。先ほどの片桐がちょうど中間になるようだ。
「え? でも、隣の人が配属の挨拶に来るなんて、珍しいよな?」
「珍しいっていうか、ないだろ。俺たちだって挨拶に行ったのは、三管本庁だけだったし」
「前橋さんが一緒ってことは、整備士?」
 自分達の中での会話なのか、深空への質問なのか。どちらとも取れなくて黙ったままでいたが、問題なく会話は続いていく。
「女の子で整備士かー。カッコいい」
「えー? じゃあ、一緒にヘリに乗ったりするわけだ!」
 止まらない会話を遮るように、パンッと音が響いた。
「お前等、いつまでくっちゃべっとるんや!」
「若林隊長っ!」
「さっさと外、出んか!」
「わ、はいっ!」
 追い立てられるようにして、どかどかと隊員たちが出て行く。
「えろう、すまんかったな」
「あ、いえ」
 若林と呼ばれたその人は、最後にぺこっと頭を下げて部屋から出て行った。
 台風一過。
 ふーっと胸を撫で下ろすと、専門官の伊藤が空いた椅子に座っているよう声をかけてくれた。
 今、出て行ったのが交替で来た四隊らしい。三隊の人たちは、着替えているのか帰ったのか、部屋にはいなかった。
 皆が仕事をしているので、どうも落ち着かない。
「あの、見学させていただいてよろしいですか?」
「ん? ああ、いいけど。面白いものはないよ」
「いえ、面白いとかそういうんじゃなくて・・・」
 真面目な顔で問いただすと、向こうも冗談だったのか、はははっと笑われた。
「所々に取り扱い注意のものがあるから、不用意に触れなければ、見てていいよ」
「ありがとうございます」
 深空が配属となった羽田航空基地には、ヘリや小型ジェット機の格納庫があるため、併せるとかなりの大きさになっていた。だが、特殊救難基地は、えっと思ってしまうくらいに小さな建物だった。ローテーションでの業務のため、隊員全員が一度に集うことがないからか、事務所の中には最低限の机しかない。それ以外の部屋には、所狭しと様々な器具が置かれていた。そのほとんどが海で使うものであるため、航空機専門の深空には見たこともないものが多かった。
「そうよね、海保だもんね」
 一人で納得して、見つけた階段で二階へと上った。そこは更に知らない器具があって、未知の空間のように思えた。
 分野が違うということは、こういうことだ。その両方を覚えなきゃいけないのか。
 今更ながらに、自分が選んだ道がとてつもない悪路に思える。
「やっとスタートに立ったんだ。気合い、気合いっ!」
 誰もいないと思って一人で気合いを入れていたら、ぶっと後ろで吹き出す声が聞こえた。
 え。
 そうっと振り向くと、荷物を抱えた片桐が立っていた。使っていた機材を返しにきたらしい。
「いいね、若くて」
 かーっと頬が熱くなる。見られた、聞かれたっ!
 恥ずかしくて顔が上げられない。
 部屋の隅で俯いて固まっていると、片桐は気にせずに機材を片付けはじめた。がたごとと音が聞こえて、最後に足音が深空の正面で止まった。
「這い上がってくるの、待ってるぞ」
 ぽんっと頭に手が置かれて、くしゃくしゃと髪を掻き乱していく。
 力強くて、それでいて優しくて。
 うわぁ・・・。お父さんみたい・・・。
 感傷に浸っている間に足音は遠ざかり、深空が顔を上げると、もう片桐の姿はなかった。
 しばらくぼうっとしていると、階下から「夏堀ー!」と呼ぶ怒鳴り声が聞こえて、深空は慌てて階段を駆け下りていった。

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