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2007.03.01 Thursday

プラネタリウム 1案

 薄暗い夜道を僕は歩いていた。
 大学からの帰り道。教授がつかまらなくて、いつもよりも遅くなってしまった。
 腕時計を見ると、22時40分。今なら急げばまだ間に合う。閉店間際であの子には嫌がられるかもしれないけど、やっぱりあの子に会わないと一日が終わらない。
 ここから駅前までは10分はかかる。僕は少し歩調を速めた。

 僕が通う大学は、東京郊外に広大なキャンパスがある。大学の敷地だけで僕が生まれ育った小さな町がすっぽり入ってしまいそうだ。大学生になって2年目に入ったけれど、まだまだ未知の領域がたくさんある。新しい校舎はいいんだけど、古い校舎はパイプやケーブルが剥き出しになっていて、廊下も薄暗くて、入っていくことすら躊躇ってしまう。
 どうやら、一番古い『病院』と呼ばれている校舎は、その名の通り昔は病院だったそうで、この大学はその病院に端を発している。今でもそこは医学部に属しているから、理学部に属する僕は、今のところお世話にはなっていない。
 大学の最寄り駅から一駅移動したところに、僕はアパートを借りている。歩こうと思えばアパートまでも歩けない距離じゃない。僕の故郷で、駅と駅との間を歩こうなんて考えるバカはいないけど、こっちじゃ一駅と言っても、徒歩10分とかそんな程度でしかない。
 さすがに今日はもうくたくただ。こんな日は駅前のスターバックスで熱々のコーヒーを飲んで一息入れたい。
 コーヒーが目当てなのか、バイトの彼女が目当てなのか。自分でもよくわらからない。チェーン店のレシピ通りに作られるコーヒーは、誰が淹れても同じはずなんだけど。彼女に手渡された時には、もっと心に沁みる気がした。
 ん?
 あれれ?
 階段を上りきったところで、僕は足を止めた。
 東京は湾を埋め立てたりしているところだから漠然と平面だと思っていたけど、住んでみて初めて意外にアップダウンが多いことを知った。場所によっては計画的に整備されているところもあるけど、一本路地に入ると元々の土地をそのまま利用しているところが多い。
 近道をしようと、そんな裏路地に足を踏み入れたのが間違いだったのか。見慣れないところへ出てしまった。
 迷子というほどのものじゃない。感覚的にだけど、あっちの方向が駅だということはわかっている。一本ぐらいずれたとしても、進む方向さえ間違えなければ道路は必ずどこかへ繋がっているんだから。
 このまま歩いていけば、そのうちに線路沿いに出るだろうし、そこから駅を探すのは容易いことだ。
 僕は別段、心配することもなく思う方向へ歩いていった。遠回りになっているとしたら、閉店に間に合わないかもしれないけど。絶対に行かなければならないところというわけでもないし。それならそれでいいや。
 家と家との間を抜ける人が一人通れる程度の路地。家が密集しているというのは、こういうことを言うんだな。
 目のやりどころがなくて、ふっと空を見上げる。塀に切り取られた幅1メートルほどの小さな空。
 昔は空ばかり見ていたのに。いつ頃から空を見上げなくなったんだろう?
 東京の空は、お世辞にも青いとは言えない。夜だって1等星くらいしか見えないなんて許せない。
 僕は、本当の空を知っている。
 どこまでも蒼い空。夜は漆黒の闇に数多の星が満天を埋め尽くす。それが、本当の空だ。
 空に憧れて、今の道を進もうと決めたのに。今の自分ときたら、本当の空を見上げずに、誰かが集めてきたデータを集積するだけ。夢に近づいているんだか、遠ざかっているんだか。それすらよくわからない。
 道なりに進んで角を曲がると、正面の空に満月が姿を現した。
 ありえないくらいの大きさ。ほんのりと少し黄色っぽくて、クレーターの1つ1つまで見えそうな大きな月。実際に月が大きくなるはずもない。地球との距離が近づいたり遠ざかったりするから、少しは違いが出るけれど。そんな比ではない。
 ありえない。
 何だ、あの出鱈目な大きさは?
 建物に切り取られた箱庭の空いっぱいに広がった丸い月。
 その月の引力に惹かれるように、僕はふらふらと前へ出て行った。
 路地から車が通れるほどの道路に出た。
 その瞬間。月の下に古びた洋館が建っていた。月と並ぶ姿が恐ろしく似合っている。今まさに、目の前の扉を開け放ってドラキュラが出てきたって驚かないぞ。
 怖いもの見たさなのか。まだ引力が働いているのか。門の前まで近づいてしまう。
『君のためのプラネタリウム』
 普通ならば表札が掲げられている場所にあるプレートに目を奪われた。
 プラネタリウム?
 こんなところに、プラネタリウムなんてあったのか?
 改めて洋館を見上げる。
 プラネタリウムがあるような建物には見えない。洋館と言っても二階建ての高さしかない。どう見たって普通の家の造りだし、ドームらしいものも見えない。最近ではドーム天井に星を投影するのではなく、スクリーンにCGなんかで映画のように上映するスタイルのプラネタリウムだってある。
 館名のプレートの下に、小さく上映プログラムと上映時間が書かれている。
『Your Song:23時〜』
 ちょっと待て。23時からって、どんなところだよ?
 プラネタリウムといえば子供向けの内容が多いし、日中に開館されるのが普通だろう。常識的に考えても、あきらかにおかしい。どこに23時なんかからプラネタリウムを見ようなんて人間がいるんだ?
 その時間なら、本当の空にも星が出ているんだし、こんなところで贋物の星を見たってしかたがない。
 よくわからない。
 住んでる人以外が通ることなんてなさそうな住宅街に。しかも、こんな夜更けに上映しているプラネタリウムなんて。
 本当に、わからない。
 それでも。何故だろう?
 この扉を開けなければならないような。そんな義務感のようなものに突き動かされて、僕はその門の中へと入っていった。
 何をやってるんだろう?
 僕は駅前に行って、スターバックスでコーヒーを飲んで、あの子に会って・・・。
 そのはずだったのに。
 腕時計はすでに22時55分。今から急いだって閉店には間に合わない。
 はぁっ。
 もういい、それは諦めよう。
 ドアの前まで辿り着いたけれど、インターフォンらしきものがない。
 とりあえず、ノックしてみる。
 だが、反応はない。
 なんだか、からかわれているというか。狐に化かされているというか。なんだか、このドアを開けたら『ハズレ』とか看板が出ているんじゃないのかなんて、邪推してしまう。
 ゴクンと息をのんで、ドアを開けた。
「すみませーん」
 ドアの影からそおっと中を覗き込み、誰何の声をあげる。
 室内は照明がついていて明るい。玄関ホールと呼ぶに相応しい広い玄関は、洋風の外観と同じく洋風で、和風建築にあるようなたたきはなく、靴でそのまま入っていくようになっているようだ。
 正面に2階へと続く階段がある。
 なんだ?
 外観から計り知れる容積と、目の前に広がる間取りの計算が合わない。まるで空間が歪んでいるような。
 このドアが四次元ポケットにでもなっているのか?
「いらっしゃいませ」
 突然、声が聞こえてきて、びくりと身体を振るわせる。
 誰もいないんじゃないかと思い始めていた。異空間を覗き込んでしまったんじゃないかと。だから、聞こえてきた声が、目の前の事象は現実なんだと教えてくれた。
「あ、あの・・・」
 声がした方を見る。多分、階段の上からだ。
 見上げると、階段を誰かが下りてきた。
「当プラネタリウムへようこそ」
 諸手を広げて迎えてくれたのは。
 なんと、少年。小学生くらいだ。年齢はきっと一桁なんじゃないだろうか。
 面喰ってしまって、思わずよろめきそうになる。寸でのところで踏み止まって、えーっとと考える。
 やっぱり、ここは変だ。
 僕はやっぱり、パラレルワールドに紛れ込んでしまったんだ。
 一応は、常識的に生きてきたとは思うけど、僕だって子供の頃はSFだとか異世界だとか、そういったものを夢見たことがある。特に、僕が生まれ育った田舎の町には、異世界に繋がりそうな廃墟だとか、どこへ迷い込むかわからない小道だとか。そんなものが沢山あった。
 大人になるにしたがって、そんな世界が無いんだということを知る。どこまでが現実で、どこからが空想なのか。そういった境界線を知っていく。テレビで流されるのは、現実だけじゃなく、捻じ曲げられた事実であることだってある。
 そうやって夢を無くしていくんだ。
「・・・えっと・・・」
「ああ、そろそろ上映時間になりますね」
 少年は壁際に置かれた年代物の古時計を見ながら呟いた。その妙に大人びた言葉遣いが、彼の外見とのギャップを大きくする。
「さあ、ではプラネタリウムへどうぞ」
 階段をおりきった少年は、右手を差し伸べた。その先を見ると今までは気づかなかったけれどドアがあった。ぽてぽてと音が出そうな覚束ない足取りでドアまで歩くと、少年はそのドアを開けた。
 重そうなドア。本当にそこがプラネタリウムなら、音が漏れないように防音設備とかがあるはずだから、必然的にドアは厚くなる。
 ドアの向こうは薄暗くてよく見えない。
 改めてドアのところで、にっこりと笑っている少年を見る。間近で見ると、年齢不詳だ。身長が小さいからといって、小学生とは限らないのか。
 アリスが不思議の国に行くときは、ウサギが水先案内人だった。僕の水先案内人は、この少年と言うことか。
「あの・・・。お金は・・・?」
「ご心配には及びません。すでに御代はいただいております」
 え。それって・・・。
 何だ?
 まずいぞ。
 パラレルワールドじゃなくて、悪徳商法とかじゃないのか?
 何十万円もする壺を買わないと出してもらえないとか。このままここに監禁されるとか。
 頭の中にぐるぐると悪い考えばかりが浮かぶ。
「あっ・・・!」
 出た方がいいんじゃないか?
 危険信号のようなものを感じて振り返った時にはもう遅かった。ぽんっと軽く背を押されて、ぱたんと僕の後ろで扉が閉じた。
 目の前になったドアにぶつかりそうになって、瞬間的に目を閉じる。遅かった。
 そおっと室内を振り返る。
 だけど、そこにあったのは恐れていたものではなく、真っ当なプラネタリウムだった。ドーム型の天井。背もたれが倒れるようになっている椅子、星を投影するための装置。
 懐かしい。
 近くの町に、私設だが小さなプラネタリウムがあった。そこの町に本社を置く大企業の社長さんの道楽だとかで。あんな小さな町にプラネタリウムを作ったからって、そんなにお客さんが来るわけもない。だって、もう少し離れたところに公営のもっと大きなプラネタリウムがあったし、贋物の星を見るくらいならば、山の上にでも行って本物の星空を見上げる方がいい。
 だけど僕は、上映するプログラムが変わるごとにプラネタリウムに足を運んだ。その頃には社長を息子に譲って、プラネタリウムの館長になっていたおじさんとは、大の仲良しになった。
 おじさんの子供の頃の夢は、天文学者だったそうだ。でも、長男で一人息子でもある自分が家を継ぐしかなかったのだと。だから、こんなプラネタリウムを作って、夢を叶えたつもりになっているんだと笑った。
 ごつごつとした手で頭を撫でて、夢があるんだったら諦めるなよと言ってくれた。
 そうだ。おじさんがいたから、僕は自分の進む道を決めることができた。僕には継がなければならないような家もない。普通のサラリーマンの父と、普通の専業主婦の母がいるだけだ。
 僕が進みたいと思った分野は地元の大学には学部がなくて、その道に進むためには、東京とか大都市にある大きな大学へ行くしかなかった。
 あの町で生まれ育った人間は、半分は都会へと出て行って戻らない。だから、東京の大学へ行きたいと僕が告げた時、両親は一瞬だけ悲しそうな顔をした。次の瞬間には頑張れと激励の顔に変わったけれど。
「まもなく上映時間です」
 さっきの少年の声がスピーカーを通して聞こえてきた。はっと我に返って、並んでいる椅子の1つに座る。
 どうやら観客は自分ひとりらしい。
 久しぶりに思い出した。
 日々の授業と生活に追われ。何のために学ぶのか、何のためにここにいるのか。そんな大事なことを忘れていた。
 次第に室内は暗くなり、ドーム天井に映し出された人工的な星が瞬き始めた。


「君の話をしよう」
 少年の声が頭に響いた。
 グワーンと大きなハウリングがして、突然、どこかへ投げ出されたような感覚がした。
 何だ、これ?
 背もたれを倒して椅子に寝転んでいたはずなのに。背中を支えていた椅子が消失してしまったような感じ。
 ウォーターベッドに寝ているのとも違う。無重力というものを体験したことはないけど、多分、違うと思う。ちゃんと上下左右はわかっている。宇宙飛行士がスペースシャトルの中でやるようにぐるぐると回転してしまうようなこともない。
 ただ、ふわふわと身体が浮いているような感覚が、心地良いような気がする。
 何だ。何なんだ?
 いや。でも。
 僕は、多分、この感覚を知っている。
 どこで体験したんだ?
 ジェットコースターとも違うし、フリーフォールとも違うし。船も飛行機も乗ったことない。
 でも、確実に僕は知っている。
 まぁいい。とりあえずは流されてみるか。
 周囲を見渡す。
 それまでは人工的な明かりだった星が、宇宙空間の実映像に変わる。しかも、360度。前も後ろも。何かわからないけど、球体の中に放り込まれて、その球体の内側に映し出された映像を見ているような感じ。
 えっと。なんだっけ。バーチャルリアリティだっけ?
 一時話題になった、体感ゲーム。ああ、そんな感じか。そう考えればわかりやすいのか。
 僕は目の前の非現実的なことを、必死で自分の杓子定規に当てはめようとしていた。そうでもしないと、頭がついていけない。
 よくあるSF映画の宇宙空間みたいだ。銀河とか、星雲とか、星団とか。天体望遠鏡のレンズ越しにしか見ることができない世界。
 僕は今、その真っ只中にいる。
 宇宙空間に浮かんでいる。
 子供心に宇宙飛行士に憧れたこともあったけれど、そこまでの道のりがどんなに遠いものかということを今の僕ならば知っている。
 そこまで考えて、ハッとする。
 ちょっと待て。宇宙服を着てないぞ。
 あ、いや。その前に。ここは本当の宇宙じゃないんだった。
 ほら、だって。僕はちゃんと息だってしている。
 でも、さっきまで聞こえていた投影機の機械音は聞こえなかった。それどころか何も聞こえない。
 空気のない宇宙空間では音は聞こえない。音とは空気を振動させることで伝わるのだから。どんなに激しい爆発、それこそビッグバンが今まさに目の前で起こったとしても、何も聞こえないんだ。
 漆黒の闇に散らばる無数の光。このひとつひとつが、太陽と同じような恒星なんだ。
 こんなに沢山あるんだから、その中のどれかひとつに、地球と同じような惑星があったっておかしくない。あるはずだと思いたくなる気持ちがわかる。
 この広い宇宙の中で、生命が息づく星が、地球たったひとつだなんて。誰がそう思う?
 ひとりぼっちは淋しすぎる。地球外生命体を求めて旅立ったシャトルには、そんな想いが凝縮しているんだ。
 ロマンチストだって笑われるかもしれない。そんなロマンチストが沢山いたから、宇宙開発は進んだ。まだ見ぬ世界への憧れは、大航海時代のそれにも似ている。
「ここは地球から7000光年の彼方だ」
 何も聞こえないのに、少年の声だけは響いてくる。耳で聞いているんじゃない。頭の中に直接聞こえてきてるんだ。

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